築40年マンションを買おうとしている話(事故物件編)

先日、築40年マンション(旧耐震)を買おうとしている話を、自分の専門分野ゴリゴリで書き殴ったところだが、いろいろと調べたり不得意分野を勉強したりしている中で、とある新事実が発覚した。気持ちが落ち着かないので書いておこうと思う。

事故物件の話だ。

***

20代前半の頃、安定した田舎の公務員職を捨て、あてもなく札幌に出てきた私が住んだのは、家賃2万円ほどの古いマンションだった。昭和30年~昭和40年ころに建てられた公団住宅のような広さの建物で、長い廊下の両側にズラリと部屋が並ぶ。光の入らない廊下はいつも薄暗く、じめっとしてあまり気持ちはよくなかった。

私の部屋は、長い廊下の中間ほどにある一室。壁が薄くて、お隣のいびきや咳払いの音までよく聴こえるような部屋だった。(建物そのものは鉄筋コンクリート造ではあったので、いつかの時代に部屋を区切って、1Kに改装でもしたのだろうか?)
単身高齢者の入居が多く、廊下で動けなくなっている足の悪いおじいちゃんから、耐え難い腐臭を放つゴミ袋を受け取って捨てに行ったこともある。日付が変わった時間帯に帰宅すると、玄関ドアに見知らぬワンピースが引っ掛けられていた時は腰を抜かした(管理人さんが、風で飛ばされた洗濯物をうちのだと勘違いしたらしいが)。
頭痛がして寝込んでいると、突然管理人さんがやって来て「今すぐ換気して!」と怒られたこともある。どうやら近隣から通報があって、私の部屋のストーブの排気口から白い煙があがっていたらしい。石油ストーブの故障だった。一酸化炭素中毒で、うっかり死ぬところだったようだ。

このマンションから引っ越したのは、正社員として転職が決まり収入が安定してきた時期ではあったが、なにより一番のきっかけは階下のボヤ騒ぎだった。

あの日、深夜二時過ぎ。
いつものように終電で帰宅し、風呂に入ってご飯を食べて、ビールを飲みながら当時趣味だった小説などをぼちぼちと書いて、さあそろそろ寝ようかと電気を消した時のこと。
外から聴こえてきたのは救急車の音だった。しかもすぐ近くで止まった。2階の私の部屋の、すぐ真下だ。やがてたくさんの人の声がザワザワと聴こえてきたが、眠くてしょうがない私は窓を開けて見るでもなく、苛々しながらもきゅっと眼を瞑った。

何分くらい経った頃だろう。

コーン…、と突然、部屋のチャイムが鳴った。

心臓がブルンと飛び上がる。
深夜二時過ぎ、いやもうすぐ三時という時間帯である。チャイムは、二度、三度と鳴らされる。いやいや、こっちは女性の一人暮らしだぞ。ええと、出るべきか、居留守か、これは…。

と思っているうち、今度は扉がドンドンと叩かれ始めた。

「消防です!開けてください!緊急です!」

ヒィー、と涙目になりながら、恐る恐る扉を開ける。
そこにいたのは、確かに消防の恰好をした(あの銀色の服を着た)隊員だった。

「この部屋の真下で先ほどボヤがありました。念のため、ガス濃度の検査をさせてください」

完全に気圧され、ハイオネガイシマス、としか言えない。隊員は、さすがに長靴は脱いでくれたものの、ズカズカと部屋の中に入り込み、ガス濃度を測るらしい長い棒のようなものを床から天井まで振り回しはじめた。玄関の外では、他の複数の消防隊員らしき人が無線で交信したり、走り回ったりしている。

「問題ありません。突然失礼しました」

時間にして1分弱の出来事ではあったが、私は完全に消耗していた。
―――あー。引っ越そう。
履きにくそうな長靴をかろうじて引っ掛けて廊下へ去って行った消防隊員の背中を見送り、洗濯カゴの中のブラジャーが完全に見える位置にあったことに冷や汗をかきながら、立ち尽くした私は呆然と考えていた。

***

それが十年ほど前のことである。

数日前、検討中のマンションが事故物件かどうかを確認するため「大島てる」のサイトを眺めながら、私は何となく、当時住んでいたこのマンションを探した。ただの興味本位で。

炎のマークは、ついていた。

しかもちょうど私が引っ越した年。
「1階。男性、ガス自殺」―――そう書かれていた。

***

そもそも、冷静に考えてみればおかしな話だ。
ボヤで、ガス濃度の検査なんて。

ボヤで、ガス濃度の検査なんて!

そういうことも、実際にあるのかも知れない。私が知らないだけなのかも。でも、なんかおかしいな、そう思ってもよかった。私は「大島てる」を見るまで、引っ越したきっかけは階下のボヤ騒ぎ、だと信じて疑っていなかったのだ。

このやり切れなさ、モヤモヤは、「事故物件」そのものにあるのではない。
あの日、仕事を終えて風呂に入り、ご飯を食べて、趣味の小説を書いて、ああ、明日も仕事イヤだなあ、なんてことを考えながら眠りについた、ちょうどあの時間。
床を隔てた私の真下、距離にしてほんの数メートルの場所で、死を考え、実行し、本当に亡くなってしまった人がいた、というこの事実。

十年近い時間を経て、私はその事実を知ってしまった。

もしかしたら勘違いかもしれない。でも真実かも知れない。だからどうした、というような話かもしれない。

しかし喉の奥がイガイガするような、飲み込めなさがある。どこにも気持ちのぶつけようがない。どこの誰かも知らないし、会ったことも、どんな人生を送ってきた人なのかも知らない。でも、あの日、あの時、あの距離で―――。

***

結局、今日も私は、ビールを飲んで寝るしかないのだ。
お願いだから誰も悲しい事しないでよね、なんて、しょうもないことを思いながら。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?