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アガサ・クリスティを読んでみませんか

 いつも記事を読んでいる映画ライターの猿渡由紀さんが、現在公開中の映画「ナイル殺人事件」の出演者に話を聞いていた。その俳優さんは「一番美味しい役」を演じたと書いてあったので、「ああ、あの役か…」と思いながら読ませていただいた。
 映画的には、「ナイル殺人事件」は「オリエント急行殺人事件」の続編ということになるのだろうが、ミステリ小説としてはかなりタイプが違う。
 「オリエント」はアガサ・クリスティのミステリ小説の中でも最も有名な作品の一つで、大胆なトリックが特徴だ。私はミステリをほぼ読んだことがない時期にこの作品に出会ったので、夢中で一気読みしてしまった。
 「ナイル」にも一応トリックはあるが、割とすぐに「こういう話なんだろうな」と見当がつく。読み進めると、実際、予想通りの話の展開になるのだが、全く気にならない。むしろ、「こうなりそうだと見せかけて、実は…」という風に凝った展開だったら、作品の魅力が消えていた気がする。振り切ったメロドラマ性が心地良い作品なのだ。

アガサ・クリスティって?
 探偵小説の世界では、二度の世界大戦に挟まれた時期を「本格ミステリの黄金時代」と呼ぶことが多いのだが、クリスティはその時代を代表する作家の一人と見做されている。戦後もミステリを書いているが、作品世界は昔のままだ。特にミス・ジェーン・マープルが探偵役を務める作品は、英国の村が舞台ということもあり、ビクトリア時代が百年以上続く異世界の話か? と思うほど。最も作品数が多いエルキュール・ポアロが探偵役の作品にしても、捜査状況が細かく描かれるタイプのミステリではない。牧歌的な世界を楽しんでいたら、突然人の本性という深淵を覗き込むことになるのがクリスティの作品だ。

駄作の少ないミステリ作家
 
クリスティは生涯に六十六の長編ミステリと十数冊のミステリ短編集を書いているのだが、これだけ多作なのに駄作が少ない。正直、主に初期に書かれたスリラー系作品(スパイ物)は、私のように「クリスティ全作読んでみよう」と決めた人以外は読まなくていいと思うけど、それを除けば「時間を返して」と言いたくなるレベルの作品は数冊しか思い浮かばない。それ以外は、「有名な名作」「隠れた名作」「趣きのある佳作」「ミステリとしては失敗だが、味わい深い小説」そんな作品ばかりである。

有名な名作
 クリスティの代表作を三つ挙げれば、先程の「オリエント急行の殺人事件」「アクロイド殺人事件」「そして誰もいなくなった」ということになるだろう。前の二つはベルギー人の探偵エルキュール・ポアロが登場する作品、「そして誰も」はノンシリーズ物だ。名探偵が殺人事件を推理するオーソドックスな小説が読みたい人には「オリエント急行」がおすすめ。名探偵が出てこなくてもいいなら「そして誰も」。一読、巻を措く能わずという言葉がぴったりの作品だ。「アクロイド」も面白いが、「探偵小説はこうであらねば」という具合に、こだわりの強い人には向かない作品かもしれない。探偵小説の枠をはみ出した作品なので。

隠れた名作
 
クリスティの真の魅力は、隠れた名作にあると思う。
有名な名作は優れたトリックが楽しめる作品ばかりだが、隠れた名作はミスディレクション物…犯人ではなく、作者が罠を仕掛けているものも多い。どちらにしても、途中で犯人がわかることもよくあるのだが、それでも楽しく読める。作品によっては、何度読んでも楽しめる。
 隠れた名作を三冊挙げると、まず「火曜クラブ」。ミス・マープル物の連作短編集だ。「何人かで集まって殺人事件を推理していると、毎回、最も探偵らしくないメンバーが謎を解いてしまう」というタイプのミステリを読んだことがあるなら、そのジャンルの古典がこの短編集だ。ミス・マープルはセント・メアリ・ミード村からほとんど出たことがないのだが、生得の人間観察眼で真実を見抜く。マープル物は(まだキャラが定まっていない第一長編「牧師館の殺人」は除く)傑作揃いなので、「火曜クラブ」から始めてマープル登場作を読んでいくのもいいかもしれない。
 マープル物の長編で私が特に好きなのは、「動く指」。ミステリと青春小説がうまく融合した名作だ。差出人不明の誹謗中傷に満ちた手紙が村の住人達に届いて…という導入部は、現代でもありそうな話。時が経っても、人の心の有り様は変わらないのだなあと思ってしまう。
 ポアロ物からは、「ホロー荘の殺人」を。クリスティは「勇ましく軽やかに生きる若い女性」を描くのがうまいのだが、この小説にも魅力的な女性が登場する。魅力的な娘達を時にはあっさり殺したり、逆に殺人犯にしてしまったりするのがクリスティの恐ろしいところなのだけれど、この作品では…。
 多分、隠れた名作に関しては、クリスティファンが百人いれば百通りのリストが出来上がるだろう。自分にとっての名作を探すのも、クリスティを読む際の楽しみの一つだ。

 以上、英国が誇るミステリ作家デイム・アガサ・クリスティのお薦め作品を挙げてみました。


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