五輪の武藤事務総長を見て投票を考えた

 見事な海外記者や五輪関係者への防疫対策である。
 五輪取材で訪日する人達に対して、『ルールはこれで決めました』と言い切る清々しさ。
 スマホを置いての外出には『守らない人がいるかもしれません』と清々しく本音を語る。

 キャリア官僚の清々しさを持っている。
 上からの命令だけを守り、社会全体の事は無視し、自分の家族の危険性さえ組織のためには無視できる『社畜の清々しさ 上司にとっては理想の部下という清々しさ』を感じる。

 多分難関の公務員試験を合格し、一流大学を卒業した彼の優れた全能力は、『目の前の問題を、上司が気に入る方法で解決する(ように上司が感じる)方策を案出』することにすべて注がれている。

 守られ得るルールであるのか、そのルールを守らせるためにはどうするのか、根本の問題は何なのか、自分が奉仕すべき最終的な目標は何なのか、はすべて清々しいほどに無視している。
 ただ上司が気に入る、または、上司の上司が容認できる方策の立案のみに彼の優秀な能力は注がれる。

 『五輪は世界平和のため』とかいう五輪論は一時保留して、五輪の組織委員会は日本の組織である。
 そして、委員会は日本から嘱託された組織であり、日本の法人である。

 当然、最終的な福祉対象は『日本国の主権者である国民』である。
 しかし、武藤の思考は上司、上司の上司の意向にのみ向いている。
 上司が気に入るか容認する方策の立案のみに、武藤の優秀な能力は発揮されている。

 これは安易な道である。
 目標は自分の上司であり、具体的に目に見え、すぐに承認・却下してもらえる。本当に有効だったのかあるいは逆に有害だったのかの評価結果は、彼には関係無い。
 当然『責任も持たない』(気楽なものである)。
 国民という漠然とした対象への奉仕を考えること、その安全を考えることよりは、目の前の上司が気に入るものを考える方がはるかに楽である。
 さらに、結果やそれを因とする不始末・不利益・災害には責任を持たないのだから、これほど楽な道も無い。

 そして、この傾向は、官僚から一流企業のエリート社員、いや、男女を問わず組織に属している大半の『高学歴で仕事も優秀な者』に共通している。

 武藤に代表される彼らは、繰り返すが、最終的な奉仕の対象までは考えずに、組織の意向だけに従い、自分の家族の健康さえ無視してでも組織を優先するのである。
 社畜である。

 しかし、見方を変えれば、武藤たちは強力な機構・道具である。
 結果に責任を持たず、命令されたことに猛進するから、機械と同じとみなすべきである。少なくとも仕事に関する行動については。

 どのような時に、強力な道具としての機構になるのか。
 それは、上司の意向が、最終対象の利益・安全・福祉を目的としている時である。
 つまり、上司、武藤の場合は(おそらく)政治家が『国民とは何かを理解し、国民を奉仕の対象としている』場合である。

 では、なぜザルのような五輪関係の外国人の入国ルールができたのか。

 答えは簡単だろう。
 武藤の上司である(真の上司である)何者かが、国民への福祉・安全・利益を目標としていないのである。
 真の上司が誰なのかは、単純なものではない。
 政局を見れば、単純に総理大臣とは言えない。
 政争の陰に隠れている『派閥の上層部が必死になって守っている盟主』がそうなのかもしれない。
 一個人やグループに確定されず、複数の有力者が自分の意向を個別に伝えているのかもしれない。
 この場合、振り回されているのかもしれないが。

 つまり、ザルルールを作った武藤の上司自体も、奉仕の対象を見失っている。
 彼らの奉仕の対象は、繰り返すが『日本国の主権者である国民』である。
 しかし、彼らが思う国民とは自分に投票してくれる人なのかもしれない。
 自分に陳情してくる人なのかもしれない。
 自分の思想や利益と同調している人なのかもしれない。
 それほどに『国民』の定義は抽象的なものであり、武藤や彼の上司たちはそれを考えることの重要さを無視して、目の前の目標だけに対面するという安易な道を猛進している。

 国民とは抽象的なものであり、『白馬 馬に非ず』的な性格を持つ。
 目の前の群衆ではなく、個人の単なる集合でもない。
 あえて言えば、日本に生まれ(または移住し)周囲の日本人とともに生活し、更に、これから日本人として生まれてくる全ての子供たちであろう。
 この抽象的な概念に対して、憲法はこれを主権者とし、奉仕の対象とするように求めている。

 日本だけではない。
 民主主義を標榜するほとんどの国、先進国では全てが、この抽象的存在としての『国民』を奉仕の対象者としている。
 立憲君主制で、奉仕の対象者が君主であった時代から、主権在民制に進化した歴史を再考し、抽象的な国民への奉仕について、国民自らも再考する必要があるだろう。

 さて、ようやく武藤から投票につながった。
 武藤のような目の前の目標に猛進する機構をうまく使うためには、国民とは何かを理解した上司、武藤の場合は政治家が必要である。
 つまり、政治家の選び方が大切なのである。
 会社や町の有力者に言われるとおりの『安易な投票』をする前に、『国民への福祉』について再考したほうが良さそうである。
 それが、武藤に代表される官僚機構を『有効に使う』確実な道であろう。

bye

ありがとー