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生き急ぎながら文字にする

30という年齢の響きは、安定や結婚を急かす身内の声よりもっと重いものとして、私の心にかなりの質量を持って居座っていた。

10代の頃、何もなすことのできないまま年を重ねて朽ちていくことに、恐怖を抱いていた。
太く短く誰の世話にもならずに、使命を見つけてそれを全うして綺麗に死にたい。そう願う気持ちの片隅では、介護生活に頭を抱える両親の姿を見ながら現実にはそう簡単に思うような形で死を迎えることができないのだということも理解していた。

30という数字にこだわる理由は、自身が敬愛してきた方がちょうど30歳を目前になくなっていることに起因する。この人が亡くなった年齢までに、自分も志を立て一つのことを成し遂げたいと強く願っていたからだ。そして、自分の実現したい世界について考えるようになってから、『子供たちが自分で稼ぐ力を身につけられるように、輝いている大人の人との接点を作る』ということを使命として心に据えるようになった。そして、1つの区切りとして仕事をやめて、会社員生活しかしたことのない私でも、自分の経験やスキルを体の隅から隅まで全て仕事にして生きていくことができるかどうかやってみる、それが私の一生の課題になった。


そんなわけで、30を超える年、自分の中では一回死んだことにしてここからゼロスタートで頑張ろう、そんなふうにに決めたのだ。その年に、10年間勤めた勤務先を二年後に離れることを決意した。

あれから2年、目まぐるしく変わる環境の中で見える世界は大きく変わった。
今までの世界から離れて外との接点を大きくした時には、私が知らなかっただけで世の中にはこんなに楽しそうに働いている大人がたくさんいるんだと知った。
私が嘆いてきた現実は、外に目を向けてみると思っていたよりもずっと解決に向けて動いている人がたくさんいることを知った。
その後さまざまな学びに時間とお金を当ててみて、今までいた環境や人々の良いところもたくさん見えるようになった。

さあこれからという分岐点に立ついま、もっとも怖いと思うようになったのは命が途切れることによって志を途中で頓挫させてしまうことだ。

そんな時ふと、以前から少しずつ書いてきたnoteのことを思い出した。書けるときと書けない時があっていままで自分で更新してきたが、そもそもなぜ自分は書くという行為を日常の中に挟むのだろうか。

そして、その答えは先日山口県萩市を訪れた時に見つかった。


ずっと訪れてみたかったこの土地には、その人吉田松蔭先生の生きた軌跡が地元の愛とともに今も深く刻まれていた。
そして、全国各地を旅する中で走りながら無数に書き残したその言葉が、何人もの若者の心に火をつけ時代を動かした。

言葉にはそれだけの力がある、そう知っていたからこそ旅の途中や刑務所の中でも想いを書き殴ることを止められなかったのだろう、走りながらも自分があとの者へと残せる言葉や経験の全てを絞り出して捧げる、そんな覚悟が書簡に綴られた弟子への想いに溢れ出ていた。


萩への旅は、書くことの意味を私に突きつけた。

途中まで書いていた原稿は、全て白紙に戻った。
誰のために何を伝えたいのか。
何を書くことがその人の力になるのか。

それは、たった一人のために書かれるものでもいい。
多くの人が共感してくれるものでなくてもいい。
その人が見てもいいかなと思った時に
たまたま開いたページの一部が、心の揺らぎを支える一言になるかもしれない。

いつか器がその形すら失ってしまうことを、止めることは誰にもできない。
その日を心静かに受け入れることができるかどうかは、まだわからない。
それでも、自分の中にあるものを探り当てながらこうして言葉を綴ることに
多くの人が開かれた環境で 挑戦させてもらえるこの環境がつくづくありがたいと思う。

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