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和コトバのススメ/コトバ選びから自分の日常に色をつける

心の中にある思いを人前に晒すとき、若干の恥ずかしさと一緒に幸せな気持ちがやってくる。自分の中にしかなかったものを形に残すことで、自分の周りの人がそれを大切にしたり愛でたりしてくれることに喜びを感じるからだ。

相手に伝えようと思う時に、第一に心を配るべき点は相手の受け取りやすい文章になっていることだ。大多数の人に読んでもらうには、受け取った側に伝えたいことが正しく伝わるようなコトバを選ぶ必要が生じる。

その次に、文面でしか出会っていない読み手に自分の世界観を感じてもらえるようなコトバ選びがくると思う。それはふとした瞬間の心の動きや、どんなものに自分の感性が反応したのかを読んでくれる人に伝えるためには欠かせない工程となる。



同じコトバでもみかんを「蜜柑」と書きたいときと「ミカン」と書きたいときの心情が微妙に違う。

緑 と書くのと「新緑」「深緑「「翠色」では浮かんでくる色彩が異なる。

「すみません」と「ありがとう」も表裏一体で近しいニュアンスを持っているが、受け取った側の印象としては「ありがとう」の方がほんわかした余韻が残る。「かたじけない」だとちょうどその真ん中あたりの位置づけでさらに折り目正しい印象を持ったりもする。

「とても嬉しいです」「めっちゃ嬉しい」というところを「この上なく嬉しいです」と言われると、なんだかこそばゆいような、またこのひとにこんな風に思ってもらいたいたという晴れがましい気持ちになるものである。

まるで小さい子が公園の砂場でお城やお団子を作っている時のような、こうでもないああでもないと頭を悩ませながら、しっくりくる造形になるまで入れ変えたり並べて楽しんだりするコトバ選びの時間は、一人で過ごす時間を無限に密度の濃いものにしてくれる。

とりわけ、仕事をしていく中で時折生じる些細な波風の緩衝材になっているのが、柔らかい大和言葉の効用でもある。

「残念ですが」より「惜しむらくは」を

「時間のある時に見ていただきたいです」より「お手すきの時にお目通しいただければ幸いです」を

「恐縮です」より「恐れ入ります」を


人と人の気持ちが摩擦によってすれ違いそうになるのを、ふわっとした言葉の引力で繋ぎ止めてしまう。マイナスなことを伝えなければならない場面でも、大和言葉を間に挟むことで受け取った側はプレゼントでも受け取ったかのようにその言葉の余韻につられて素直に受け止めてしまうのだ。

まあるい音の並びには、私たちの心を捉えて離さないこの国に根付いてきた感性があり、連綿と続いてきた日本人の血に共鳴してしまうものがあるのだと感じます。



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