想像力のムダ遣い

スーパーファミコンだとか64だとかプレステだとか据え置き型の家庭用ゲーム機は生まれてから昨年まで買ったことがなかった。

家が厳しかったので、子どもの頃はゲームは買ってもらえず、友達の家でするか、もしくは、ゲームボーイ系の携帯ゲームをこっそり借りてやる程度だった。                        

子どものころはものすごくゲームがやりたかった。

ゲームがないからこそ空想で、色々なことを考えた。 あと本をよく読んだ。

もし、自分が冒険にでるなら勇者は僕で、あいつが◯◯で~と設定を考えて時間を潰した。

プロ野球チームを作るなら僕がエース、あいつが4番~とイメージして頭のなかでゲームをした。

だから普段からどうでもいい空想やどうでもいいストーリーを勝手に作ってしまう。

そして勝手に自己完結してしまう。

まさに想像力のムダ遣い。

3年前に携帯のアプリでダウンロードし、

今さらながら人生で始めて、ドラクエ3をやった時の話だ。

発売から30年以上過ぎてはいるが、ドラクエというものを楽しんだ。

知っている人は多いとは思うが、

主人公の仲間は、僧侶、遊び人、魔法使い、盗賊など職業選択ができる。

とある場所にいくと仲間の職業を転職するシステムがある。

ただ唯一、賢者という職業だけは転職の条件があった。

他の職業の仲間は「悟りの書」というアイテムを使わないと賢者には転職できない。

しかし、遊び人はあるレベルまでいくと簡単に賢者に転職ができる。

遊び人の方が賢者になる条件がえらく軽い。

なぜなのか。

きっと世の中を生きていくには、

強いだとか、

賢いとか、

勇気があるとか、

それだけではなくて、

遊び心が必要なんだ

ちゃんと遊ばないといけないんだ

と比較的真面目に生きてきた自分に与えられたメッセージのように感じ

全力で休みの日は遊ぼうと思った。

どうでもいいポイントから人生を悟ったかのように

深いようで深くない答えを導き出してみた。 
 
そして、僧侶から盗賊に転職させたときに

あんなに優しそうな僧侶が 

目付きの悪い盗賊になり、
 
現実の人間に置き換えてみた。


いったいどれだけの辛いことを経験すれば、人を教え導き神を信じる僧侶が、

人の物を盗む盗賊にまで落ちぶれるのか。

君は何を信じているのだ!慈悲のこころもあったものではないじゃないか!

君の人生に一体何があったのだ!

と彼の変化を憂いた。               

そもそも転職させたのは自分であり、勝手に感情移入しただけなのはわかっている。

しかし、そうゆう視点でみてしまうのである。

これらを色々なところで笑い話として披露していた。

大抵の人は笑うか、想像力の無駄遣いとかツッコミがはいり、

こちらとしても期待どおりの答えがあり、ニヤリとした。

そして、昔から小説やマンガについてを語り合う友達たちに酒を飲みながら、この話をしたときに、  


彼らは笑いながらも「わかる!そうゆうのってつい、その人の背景を想像するよね。」

「自分もよく想像するよ!」


まさかの自分の話題に共感をしてくれた。

笑いを取るつもりが、予想外の反応だった。


あの時ちゃんとリアクションできてたかどうか。  

このエピソードは忘れることはないと思う。

 
心が動く瞬間って温かいんだなと感じた。

たまに、その友達たちとの話を思い出しては、心がいっぱいになる。

理解されないだろうなと思っていた。

このムダに想像力を膨らませる感覚を理解してくれる人達がいると思ってなかった。

ありがとう

30歳を越えたら、色々ある。

どれだけ青春時代にバカやったり、一生の友達だよなと語りあった友達たちも

転勤、病気とかその他色々、何らかの形で、途切れてしまう縁もある。          

それでも、未だに続く縁もある

そのことに感謝する。

これからも大事な人達との縁をできるだけ大切に温めていきたい。

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