キラキラ
高3のとき。物理の授業は大嫌いだったが、先生が余談で話したAIロボットの話には妙に食いついたのを覚えている。
それからずっと、私は人工知能の研究や先端医療について学びたいと思っていたし、無事その勉強ができる大学に入ることもできた。
でも、私は周りのレベルに全然追いつけなかった。
なんで?こんなにも好きなのに?
ずっと思っていたけど、いくら頑張ったところで、努力したところで、こんなもんかって思っちゃうような単位しか取れない。
角度を変えて何度チャレンジしてみても、やっぱりダメだった。
私にはセンスがなかったから。
努力は必ず報われるとか、夢は必ず叶うとか、そういう綺麗ごとは時に人を傷つける。
努力が違う形で生かされることや、遠回りに夢が叶うことの方が多いことを知っている。
だから、思い切って考え方を変えてみた。目の前の現実から目を逸らさないで「あぁ、私はこの道では評価されないんだ。」ってちゃんと自分に言い聞かせるようにした。
好きなだけじゃダメ、それを自分のものにして、そして得意と感じることができたとき、本当の意味があるって。
そしたら、それまでの悩みが嘘のように、他に出来ることや興味のあることについての知見をどんどん深められて、自分の強みを沢山知ることができた。まるでずっと開かなかったジャムの蓋を開けることができた時のような。
これは、約4年間(と言う長い年月をかけて)プログラミングや数理科学を学んだからこそ、得意不得意の取捨選択ができた、とてもいい例になったなと自分でも思ってる。
人工知能や数理科学についての研究は不得意でも、それらについて持ってる知識を言葉で発信することはできる、というような、発想転換できるようになったから。
実際、全然自分に合ってないと思っても、なかなかそれを認めたくないのが人間の嵯峨だ。でも、一回全部捨ててみると、見えたフリをしていた見えてないものに気付けたりする。
好きなことばっかりやって食っていけるほど易しい世の中じゃないけど、少なくとも出口の見えないトンネルを歩き続けるよりも、少しでも興味関心が向くものが他にあるなら、それをやってみるのはとてもありだと思う、実体験より。
結局は自分が決めることではあるけど、いくら頑張っても周りから全く評価されなかったこれまでの自分より、私が好きで得意なこと…言葉や写真で心動かされる人がいることを知れた今の方が、何倍も楽しいし何倍も未来が輝いているように思える。
要は、諦めも肝心ってことだ。でも、諦めたあとに元居た場所に戻りたくなることもある。そしたら気が済むまでやってみればいい。ただ、私は諦めた先にも輝いてる景色を見ることができると説きたい。執着はベクトルを間違ってしまったら、ただ自分の首を締めるだけのロープに成り下がるんだよ。
私は、遠くだけど、とても遠くだけど、小さな光が見えた。トンネルの先には何があるのかな。
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