GLAY第22曲『ROSY』シリアスなのに肩の力が抜けてる
「ROSY」はGLAYの中でも異色な作品やと思う。
初めて聞いた時は、シリアスなのに、肩の力が抜けてる作風に、「TAKURO進化したな」となぜか上から目線な感想を抱いたりした。
そう、シリアスなのに肩の力が抜けてる。
逆に言えば、肩の力が抜けてるのにシリアスなのだ
(ホンマに逆にしただけや...)
ちなみに、同じことが同日にリリースとなった『SORRY LOVE』にも言える。
『SORRY LOVE』についてはまた別の記事で書きたいと思うが、
この2曲は2007年のGLAYという時代も受けて、より一層輝く曲になっている。
つまり、
99年のような、やさぐれたGLAYではなく、
01年のような、意欲的なGLAYでもなく、
04年のような、エンターテイナーなGLAYでもなく、
10年のような、スマートなGLAYでもなく、
その間にある、闇を抱えながらもロックの原点を追求した2007年のGLAYだからこそ、
出せる音と活かせる曲があったのやと思う。
肩の力が抜けてるな、って思うのは、
ギターの音作り(この頃のGLAYにはよくこういう音色があった)と、
メロディの展開の仕方である。
メロディの展開ってこういうことを言うんやっていうくらい、のびのびと、意外性もあり、それでいてしっくひと、展開してる。
あー、今日は褒めすぎたぁ!
※この曲を紹介してほしい等ありましたらコメントにてリクエストください♪
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