自虐ネタ芸人って正直どうなの:GLAY第113曲『カナリヤ』(1997)
ウエストランド井口のモノマネで話題になっているアイドル鳥越って知ってる?「アイドルなのに顔が~ウエストランド井口♪」ってやつ。
YouTube見てると以下のショート動画がオススメに上がってくるんやけど、お笑いとしては、これがぜんぜん面白くない。まずこの人は、笑いと自虐を吐き違えてる!自虐=お笑いではない。
「面白い」には構造があって、その構造を作るためのネタとして自虐を使うことはあるけど(錦鯉とか分かりやすいな)、自虐すれば必ず笑えるかと言えばそうではない。以下の動画、私は"痛い"としか思えなかった。
これを見て、何を感じて、どこを笑えと言うのか。
「あははー、確かにブスだーこれで顔面課金したの?!」って笑えと言うのか?それは消費者を舐め過ぎである。そして、「ブス」や「ハゲ」を笑いにするのも、そろそろ限界が来てるよねぇ。
とまぁ、珍しく苦言を呈したメッキ張りのヒーローですが、気を取り直して、本日東京は春の良い気候です。そんな空気感にピッタリな楽曲、1997年リリースのアルバム『BELOVED』から名曲『カナリヤ』を紹介したい。
作曲:JIRO、作詞:TAKUROという共作で、2020年のベストアルバム『REVIEW Ⅱ』では、「故郷・函館」をテーマにTERUがセレクトした盤に収録されていて、GLAYのメンバーからも愛されている曲であることが伺える。
故郷・函館の友人を歌った曲であり、上京してバンドを続けた自分と、函館で何か別の仕事に就いた友人を重ねて「僕らは銃を持たず、生きる術も何も持たず、戦場へ行った」と書いている。
2番の歌詞では、友人から手紙が届き、その友人に子供が生まれたという知らせを受けていることが分かる。父親としての責任、日々の労働の中で「時にはレールを離れ夢に溺れてみたい、なんて、まあそう言うなよ。君のように生きる、そんな暮らしも憧れてる。誰かの為に汗を流してく…」と綴る歌詞は、とても染みる。ラスサビでも繰り返しているところから、この曲の核となるメッセージなんだろうな。
ところで『炭鉱のカナリヤ』をご存じだろうか?
炭鉱で発生する一酸化炭素やメタンガスなどを検知するためにカナリヤが使われた歴史があり、常にさえずっているカナリヤは、一酸化炭素やメタンガスを認識すると途端に鳴き声がやむ、という性質を応用したものだった。転じてカナリヤとは「迫りつつまる危険」の代名詞のようなものなのだろう。
「唄を忘れたカナリヤよ 今僕らは何処にいるのか?」
という歌詞は、どういう思いを込めているのだろう?
がむしゃらに走り抜けてきたけど、本当にこれで良かったのかという疑問や、色々なしがらみに揉まれてたどり着いた今。何が正解か分からないけど、目の前にある大切なものを見失わないように生きていこうというメッセージなのかもしれない。
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