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名家の呪縛

仕事やプライベートで、やんごとなき方たちと接する機会がチラチラと出てきそうなのですが、まったく心が浮つきません。それよりも「お役目、本当にお疲れ様です…」という気持ちになります。なんでかというと名家ってですね。それはそれは大変なのです。自分はなりたくありません。

何が大変って、生まれたその瞬間から、自分の行動様式が制限されます。社会的認知が高ければ高いほど、家の歴史が古ければ古いほど。そこに、個人の人格とか意思の発露みたいなものは、ほぼ許されません。「〇〇家の太郎さん」「△△家の花子さん」のように、常に家の名前が先行。家で自分が定義されます。で、家には強固なブランドが付与されているので、そのブランドステートメントに反する行動はできません。

某総領家の跡取りさんが、外国籍の方とご結婚されたことで、猛反対を受けた、みたいな話はとてもわかりやすいのですが、恋愛だけでなく、職業選択や、移動の自由、はては言動や思想まで、名家の呪縛は進入してきます


かくいう、わたしの父方のおばあちゃんは、とある地方の由緒ある名家の長女。農協から政界、財界から教育現場まで、その地方では名前を知らない者がいないくらいの名家でした。ご当主を「おていさん」、ご当主夫人を「おたあさん」と呼び、おていさん&おたあさんから一身等の男子は「〇〇(←地名)のボンちゃん」、女子は「〇〇の嬢ちゃん」、二親等以下は「〇〇のこボンちゃん」「〇〇のこ嬢ちゃん」という呼び名がある、え?少女漫画?みたいな設定で世界が回っていました。

で、わたしの母は普通の家の出で(でも家柄を辿ると、こっちのほうが歴史が深いことが判明)、本家でもない遠戚ポジション(外野)のはずなのに、家柄がつりあわないとかなんとかで、散々、この名家な人たちにいびられました。幼少期に実父を亡くし、若くして一家の長になったわたしの父も同じく。え、昼ドラ?みたいな設定も同時進行していたわけです。我が両親、長い間、よく耐えた。

だいぶ端折りますが、大人になった今、いびり倒していた親戚に思いを馳せると、名家の出として、だいぶん、我慢を強いられたのでは…と思うことがあります。やりたいことも、言いたいことも、〇〇家出身者、というブランドのせいで、自由にできなかった。そんなことも、沢山あったんじゃないかと。まあ、だからって、いびっちゃいけないんですけど。

いまはその親戚もほとんど鬼籍に入り、こうして話せるようになりました。

というように、名家に所属する苦しみ、みたいなものをそこそこ肌で感じているので、やんごとない方と接する機会があっても、ひゃー!みたいな高揚より、あ、あの肩には、ものすごく重いブランドがのし掛かっているのか…た、大変だ…と思うのです。

やんごとなき方が、1日でも多く心安らかに過ごせますように。


ごちそうさまです。

FineGraphicsさんによる 写真ACからの写真 )


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