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何かを演じるほど、人生は長くない

あなたはいま、何を演じていますか?

8月に開催予定の、とあるワークショップに「ソーシャルセクターの人」として、参加案内が来ました。ソーシャルセクター?自分が?と一瞬思いましたけど、やってる外側だけ見ると、たしかにゴリゴリのソーシャルセクター。そうか!と思い、参加することに。当日は、中央官庁のキャリアや大企業サラリーメンなど、なにかしらコンテンツをもっている方々が集結するそうです。楽しみ。

で、楽しみだなーと散歩をしていたある時に、ふと思ったのです。

「あれ、自分。どこ行っても、自分のままやん」と。

サラーリーマン時代、あるお客さん(Aさん、とします)から大変に羨ましがられた経験があります。わたしが誰の前であっても態度を変えない、自分のままである、という点でした。

Aさん曰く、「会社の上司にたいする私、職場の同僚にたいする私、取引先にたいする私、お客様にたいする私、母としての私、妻としての私、女としての私、PTAの役員とs(以下略)」とたくさんの「私」が登場。同時に重なったら、思わず卒倒しそうなくらい、たくさんの「私」を使い分けていました。もう、疲れたと。素の自分でいたいと。でも、どうしても「私」を統合できない。だから、誰の前でも変わらないはるさんが羨ましいんですと。それは大変ですね、と話を引き取って、会話を終わらせました。

なぜ、人はたくさんの「私」をもつのでしょう。

数ある理由の中で、わたしが注目しているのは、「防衛反応」です。自分の自尊心を攻撃されないために、ペルソナを被って、パーソナルゾーンを確保する。ヱヴァンゲリヲンの「ATフィールド」。ATフィールドには、前提として、人と深いところでつながる=自我を脅かす、恐怖!という等式があります。

たしかに、お互いの前提条件も、その瞬間の心理状況もわからない相手に、丸裸でコミュニケーションをとるのは怖いかもしれません。傷つくこともあるでしょう。でも、一度あの世に行きかけたわたしには、「いやいやいや、そんな人生、長ないよ。あっちゅう間よ」と思うのです。複数の「私」演じることで浪費されるエネルギーより、統合した「私」の傷ついた自尊心を回復させるエネルギーのほうが少ないよ、と。

仮にあなたが30才で、100才まで生きたとすると、残りの時間は70年×365日×24時間=613,200。睡眠時間に8時間、トイレや歯磨きなど一人時間に1時間、移動に1時間、計10時間が1日に必要となると、357,700時間しか、手元に残りません。これを、演じている「私」で割ると、さらに、ありのままなあなたの時間は限られたものになります。

もちろん、死ぬ直前まで、ピンピンしていての、数字。「自分だけはちがうねん!」ってみんな思うわけですけど、病気や事故、事件に巻き込まれて、32才とかであの世に逝っちゃう人だっているわけです。現在30才で32才で逝去となると、手元に残る活動時間は10,220時間。。なかなか時間のなさが伝えられないですね。

話の本筋に戻りましょう。

そういえば。どんなTPOであれ、「わたし」のままなわたしは、関係各所で不思議ちゃん扱いされます。不思議ちゃん、上等です。というか、たぶん、不思議ちゃんは最強です。そんな不思議ちゃんと一緒に時間を過ごそうと思ってくださる方は、思った以上に多いです。世の中、優しい人もたくさんいるんです。

ので、不思議ちゃんになりましょう。冒頭の集いにも不思議ちゃんとして、乗り込みます。本人はまっぱで参加するだけなんですけど。


ごちそうさまです。


まさかお金が振り込まれることはあるまい、と高を括っているので、サポートされたら、とりあえず「ふぁ!」って叫びます。