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解体新書の翻訳と蘭学の発展

5色の糸が入り乱れているのは、みな美しいものであるが、わたしはそのなかの赤とか黄とか、一色に決めて、あとの色はみな切りすてる気持ちで思いたったのである。
講談社学術文庫 杉田玄白著、片桐一男訳「蘭学事始」

これは杉田玄白が晩年になりターヘル・アナトミアを翻訳した時の気持ちを記した言葉である。


翻訳を共同で行なった蘭学者の前野良沢は、自身の名を「解体新書」に載せることを辞退した。それはオランダ語の翻訳が完璧ではない部分があったからだ。


例え完璧ではなくてもできるだけ早く世に出して病に苦しむ人々のためになりたいと考える医師の杉田玄白と、あくまでも翻訳は完璧にしてから出版するべきであるとする蘭学者の前野良沢は、同じ学者でも学問に対するスタンスが異なっていた。
そのスタンスの違いから、解体新書の翻訳終了後に2人は疎遠になってゆく。

私は2人の学問に対する姿勢に大変感銘を受けた。蘭学者としての信念を貫き、世に自分の名を売ることを目的としない前野良沢には畏敬の念を抱かされる。

一方、医師である私としては杉田玄白のスタンスに賛成である。
それは、医学には1人あるいは1つの研究グループで学問を完成させることはできないという性質があるからだ。


自分達の研究成果から明らかになった結果を元にして、他の研究グループらがさらに新たな事実を解明していく。医学はいわばバトンリレーのように進歩していくのである。
その進歩のためには情報の共有が不可欠である。特にネット社会の現代では国内外を問わず様々な研究成果をリアルタイムで閲覧することが可能であり、世界の研究者達は誰しもが情報共有の重要さを認識している。

実際、「解体新書」がその当時の世に出版された後、蘭学研究は勢い良く国内に広がりさらなる発展の契機となった。
華岡青洲が世界で初めて全身麻酔下に乳がんの手術を成功させたこともその例であろう。日本の研究成果は世界の医学の発展に寄与したのである。

5色のそれぞれ美しい色の中から1色を選び、その他は切り捨てる勇気。
人生において私達は時には大きな決断を迫られる局面があることだろう。

私はその勇気を少しだけ分け与えて貰えた気になっている。

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