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和菓子とわたしと、和菓子のおはなし


私は、幼いころから和菓子が大好きでした。

とくに こしあんをよく好み、お饅頭やおはぎはもちろんのこと、夏には水ようかんに、冬にはお汁粉に、いつもほっぺたが落ちそうになりました。


水まんじゅうも、ね。


カステラや「シベリア」も昔から好きです。
シベリアって、ご存じでしょうか。カステラ生地に羊羹をはさんだ懐かしいお菓子です。
幼いころ、母と一緒に家の近所のパン屋さんに行くと、いつもおねだりしていたことを思い出します。よく手をつないで歩道橋をわたり買いに行ったなぁ。 


「村岡総本舗」さんからお取り寄せしたシベリア。(※1)


シベリアは、今でもよく製パン会社から販売されていますし、何より近代になってからできたもののようですので、きっと分類するとしたら「パン」(または「菓子」)なのでしょう。でも私の中では 、とびきりおいしい「和菓子」なのです。だって、シベリアを構成するカステラも羊羹も、和菓子なのですから。


カステラ(かすていら)、羊羹(やうかん)とも外国から伝来し、日本でアレンジされた和菓子です。
カステラは南蛮貿易によりポルトガルからやってきた南蛮菓子、羊羹は中国から禅僧が持ち帰った点心てんじんから形成されました。とくに羊羹の歴史は深く、その変遷はとても興味深いものがあります。
(「和菓子」という言葉は昭和になってからできたもの。)



そんな和菓子好きの私が、いちばん熱狂したのが、和菓子の中でも上等な上菓子! 上生菓子と呼ばれるものです。



子どもの頃からそのようなものが好きだったなんて、なんてナマイキな。と思われてしまうかもしれません。
けれど、日常的に触れる機会がそんなに無かったからこそ、そのスペシャル感が “スキ” に輪をかけたのです。


美しい上菓子と初めて出会ったときのことを、最近よく思い出します。

幼稚園の年中か年長の頃だったでしょうか。確かな年齢は覚えていませんし、それがお盆だったのかお彼岸だったのかもわかりませんけれど、祖父母の家に私の家族と叔父夫婦が集まった時のことです。

大好きな叔父夫婦が、お土産に上菓子の詰め合わせを持ってきてくれたのです。
子どもがいなかったせいか、私をとても可愛がってくれた叔父は、その箱を私に手渡しました。

「きれいなお菓子だよ。蓋をあけてごらん。」
そう言われて蓋を開けた途端・・・
さまざまな淡い色合いの、いろいろなお花が目にとびこんできて、私はその美しさに ひっくり返って驚き、狂喜乱舞したのでした。

その姿が相当におかしかったらしく、家じゅうが笑いに包まれたことを覚えています。

さらに、手渡された箱の中には、それぞれの “菓銘”と原料などの説明が書かれた紙が入っていて。「読んで!読んで!」と母にせがんでは、その説明翻訳を聞いて、また飛んで喜んだ私。
そんな出会いでした。


それにしてもあの時の私は、何をどこまで理解して、何を感じて喜んだのでしょう。




この国には 季節ごとに咲く色とりどりの花々があるということ、
それをこんなにも美しい和菓子に表現する文化があるということ、
表現するための繊細な技術があり、そこには四季を慈しむ あたたかな心が宿っているということ……

お菓子にはそれぞれに素敵な名前がついているのだということ、
わたしが知っている茶色いあんこだけではなく、ゆずとかさくらとか みどりのお豆とか、いろんなもので彩られて、個が生まれてゆくこと、
どれもこれも、「1番」美しかったこと……。





そのようなことは、今だから思うのでしょう。幼い日の私は、ただきれいなお菓子にびっくりしただけ。
けれど、あの時の、なごやかな空気の中に咲いた 淡い桜色の、柔らかな若菜色の、とろけるような蜂蜜色の甘い花々は、今の私の “スキ” のアンテナを動かしているようにも思うのです。(※2)


ちなみにその出来事を機に、叔父の上菓子のお土産はその後 何年も続くことになりました。そのたびに私は(年相応に)狂喜乱舞し、ひとまずその箱をひとりで抱え、愛おしく愛でてから、家族に「分配」するのでした。



日本人は縄文時代から、栗などの 木の実の甘さを楽しんできました。加工食品としてのお菓子は、古代のお餅やお団子から始まっていると言えるようですが、上菓子は1690年代(江戸時代)に京都で完成したそうです。その頃は、身分の高い人だけのものでした。
ここでは生菓子の上菓子(上生菓子)のおはなしをしましたが、お干菓子の中にも上菓子はあります。

その上菓子の定義にはいくつかあるのですけれど、虎屋十六代店主・黒川光朝氏は、「五感の芸術」であると提唱したそうです。これは現在も専門家などによる上菓子の表現に引用されている言葉です。
味覚(おいしさ)、嗅覚(素材のほのかな香り)、触覚(舌触り)、視覚(意匠デザイン)、そして聴覚。「菓銘」です。
上菓子には必ずそれぞれに名前がついていて、その響きを聴くことで耳からも季節の移ろいなどを感じとるのです。
私のこどもの頃の記憶には「季節のお花」しか残っていませんけれど、お花以外の自然を映しとるものや、和歌や源氏物語など古典文学を表現するものなどもあります。

こどもの手のひらにも乗る小さな和菓子の中には、日本の伝統と文化がギュっと凝縮されているのです。


私にこんなにすてきな世界をみせてくれたその叔父は、病気で若くして天国へ逝ってしまいました。
もし今も元気でいたならば、今度は私が美しい上菓子を手土産に叔父のもとを訪ね、懐かしい思い出話をしたかったなぁと思います。もちろん和菓子のおはなしも。

和菓子っておいしいね、和菓子ってきれいね、和菓子ってやさしいね、和菓子ってなんだか儚いねって。








これが幼い日の わたしと和菓子のおはなしでした。
内容に関連して3つほど補足(脱線?)したいことがあります。最後にその3つのことと、今日の写真について触れたいと思います。



その1(※1)
村岡総本舗さんのシベリアは、ふわふわとやわらかくて、でも とてもしっとりして… 最高です! 羊羹の上下にはあんこが挟まっているためか、舌触りが滑らかなのです。

和菓子屋さんでシベリアをつくられていることに感動して
佐賀県からお取り寄せ。
シベリアにしては“高級品”なので…
お気に入りの李荘窯さんのお皿で おめかしを。
包み紙も可愛くて
ブックカバーにしてしまいました。



その2(※2)
和菓子のおはなしからは逸れるようですけれど、私の思い出に関連して。

私は先日、向後千春先生の「早期回想ワークショップ」に参加させて頂きました。

「早期回想」とは、人生の最も早い時期の記憶のこと。アドラー派のカウンセリングでは、そのエピソードを手がかりに、その人の「ライフスタイル」や自己理想などを明らかにします。その人が“自分”というものを理解して その人らしく生きるのために役立てるものです。
…と、私などが下手なご説明をするよりも、詳しくは向後先生の記事をご覧ください。

その際、改めて思ったことは、私の上菓子初対面の記憶には、やっぱり  “今の私”  が投影されているということです。現在の私が、星の数ほどある思い出の中からこのエピソードを選び思い出しているのですね。



その3
なぜか昨年くらいから、「和菓子を知りたい!」という衝動にかられ、少しずつ、私なりに知ることを意識していました。
そして知ったことについては、これまでに何回か(そっと?) アウトプットにチャレンジしています。

❍ こよみだより*十五夜*・・月見団子について
❍ こよみだより*秋分*・・・おはぎについて
❍ こよみだより*立冬*・・・亥の子餅いのこもちについて
❍ こよみだより*大暑*・・・かき氷について

一方で、インプット・アウトプットともできていないことは山ほどあります。今後も ゆるりゆるりと続けてみたいと思い、今日の記事を記しました。

積読がいっぱい。。
(写真は、多くの貴重な古文書などを公開されている「虎屋文庫」さんの機関誌です。)



■今日の写真たち

すべて最近購入した単焦点レンズで撮影しています。これも ちいさなチャレンジです。


 ぷるん!とした『水まんじゅう』。
有田焼・今右衛門窯のお皿にのせて。



森八」さんの生菓子
菓銘『秋海棠しゅうかいどう

思いを寄せる人を待ち続け、落とした涙が固まったところから咲いた花とされる。花言葉は「片思い」 (白こしあん/練切/紅花赤色素・クチナシ黄色素)

説明:森八HPより



 同じく「森八」さん
菓銘『初嵐はつあらし

立秋を過ぎて初めてふく強い風。 (黒こしあん/練切/クチナシ青色素)

説明:森八HPより
目に見えない「風」をあらわしているのですね。



 キャプションに「✽」をつけた2枚の写真は、『BRUTUS 』2022年2月1日号の p14を撮って、使用させて頂きました。



・・・ああ。またしても長文になってしまいました。。 おゆるしを。



(同 表紙)






最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。








現在のわたしは、干菓子もあいしています。




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