存在の耐えられない軽さ~古谷経衡という男

 先日、古谷経衡氏のtweetを巡って、ちょっとした炎上騒ぎがあった。
発端はこのtweet。
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日本は西側国家でほぼ唯一、アラブ寄りとみられている(その幻影も崩れつつあるが)。よってアメリカが主導するホルムズ海峡有志連合などには間違っても参加してはならない。イランは日本の友邦であるから、イランを刺激してはならない。断固参加NOというべし。
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イランをアラブと位置づけている無知に対して、様々な人から反論が寄せられた。それに対する古谷氏のアンサーがこのtweetだ。
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イランは反イスラエル、湾岸諸国という視点から「広義のアラブ」の含意として文中で使用したことは間違いではないのではないか。
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「広義のアラブ」って何?
じゃあ日本は自由主義陣営で環太平洋諸国ということで「広義のアメリカ」になるの?
この反論(にもなっていないけど)は、当然火に油を注ぐ結果となった。

 私は以前から、古谷氏が嫌いだった。その理由は、氏の醸し出す軽さこそが、「今」を映しとっているように感じていたからだ。ここでいう「今」とは、「偽者が跋扈する時代」という意味だ。
知識がないまま無責任に発言する人間が、その能力ではなくキャラクターだけで「知識人面」する昨今、様々な偽者が出現した。
 「朝まで生テレビ」でふざけた発言をする人間が持て囃され、やがては議員になる。「ほむらちゃん」を知らない人間が「まどマギ」を語り、オタキングと自称する。こんな時代の象徴が、私にとっては古谷氏というわけだ。

 かつて古谷氏はTVタックルに出演した際、ひろゆき氏から「嘘言うの止めてもらっていいですか」と嘲笑された経験を持つ。ネットの匿名性がテーマの回だったが、古谷氏は匿名性を廃止すべきという立場での出演だった。その中でニコ生について適当なことを述べ、ひろゆき氏から「僕は経営していたから、あなたよりニコ生については詳しいですよ」と、適当な発言を咎められている。
しかしこの時も古谷氏はその発言について訂正せず、論点をずらすことに必死だったように見えた。この態度こそが、古谷氏の特徴だ。

 最近では百田尚樹氏の著作「日本国記」を批判する文章を、ネットメディアに掲載していたが、ご大層な文体が目に付くだけであり、中身は何もない空虚なものだった。自分が立命館大学で日本史を専攻していたことを述べ、そこで網野善彦から影響を受けたと書いているのだが、あまりに通り一遍な内容であり、網野氏の本意を理解しようとした形跡は、私には感じられなかった。同じ「日本国記」を批判的に論評している呉座勇一氏と比較したとき、その愚かさは際立つ。

 愚かなことは罪ではないと思う。誰もが知識を吸収する前は無知であり、それゆえ愚かな論を述べることはある。しかしそこで無知を認め、新たな知識を吸収するからこそ、人間は成長する。成長前の人間は「己が愚かである可能性」を常に意識し、過ちを認める勇気を持つ必要がある。

 そんな古谷氏だが、悪いのは出演させるメディアであるのかもしれない。しかし古谷氏の言動を見ていると、確信犯的なものを感じる。「無知であっても、エキセントリックであればメディアに使ってもらえる」という傲慢な態度が見え隠れする。必要以上に堅い文体を意識し、ネトウヨを嘲笑することで、己を賢く見せようとしているとしか思えない。学生時代には、それこそネトウヨのような発言をTVでし、映画監督の崔洋一氏から罵倒されている。しかし「崔監督に論戦を挑んだ学生」として、TV番組の中で「爪あと」を残したことは事実だ。この「目立つための方策」を、それ以来続けている古谷氏を見ていると、発言に重みのなくなったメディアの衰退を象徴しているかのように感じる。
 そしてそのことが、「メディアが信用を保っていた時代」を知る人間をイラつかせる。

 このような古谷氏の「軽さ」は時代の象徴であり、古谷氏は時代の寵児なのかもしれない。しかしメディア出演によって培われた影響力を、誤った、浅い知識に基づき行使しようとしていることには、気持ち悪さしか感じない。
ただそれだけのことではある。

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