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Vol.16 大阪到着

大阪に着いて久しぶりに兄貴に会った。兄貴だけじゃなく、子供のころに世話してくれた人らにも会えた。

 三歳で大分に帰って、二十二歳でもう一回大阪に帰ってきたんやけど、わしが生まれた時のことを知ってる人はまだまだいっぱいおった。

顔に面影があるて言う人の中には、乳をのませてくれておばさんもおったし、兄貴の供をしてまた大阪に出てきてる武八ていう奴もおった。
こいつは、わしが大阪におった時もうちに仕えてたやつで、今回、一緒に堂島三丁目あたりを歩いてたら「お前が生まれた時、俺は夜中にここの産婆さんまで迎えに来たんや。あの時の産婆さんは今でも元気にしてるで。ほんで、ちょっと大きくなってからお前をあそこの相撲部屋までよく連れて行ったりしたわ」て教えてくれた。

そういうの聞いてたら懐かしくて泣いてもうてん。ほんま故郷に帰ってきたような感覚やったわ。

 そのうち兄貴から「何でお前はここに来てんねん?」て聞かれたから、ホンマのこと言うたんやわ。
そしたら「言うても、長崎からここまで来るのに、中津は通り道やんけ。それやのに、お母さんのところに行かんと、こっちまで来るのはおかしいやろ。ほんで俺がこのままお前を江戸まで行かせたら、俺まで共犯みたいになるやんけ。お母さんはそんなこと思わんやろけど、俺は嫌やわ。ってか、江戸まで行かんでも、大阪にも先生くらいおるやろ。蘭学でも学んでいけや」て言うから、しばらく兄貴のところに居候しながら、探してみたら緒方っていう先生がおるらしいことを知った。

 兄貴には逆らえずに、大阪に留まって、緒方先生のところに入門したのは一八五五年やった。ちょうどペリーが来てから二年経ったくらいやな。ちなみに大阪に来る前にも長崎で蘭学は学んでた。楢林というオランダ語通訳のやつと、同じく奈良林ていう医者、そして石川桜所ていうオランダ式医学者が当時の先生やった。
石川先生は開業医で、かなりの大家やったから、なかなか入門することはできひんかった。だからその家の薬剤師とかに習ってた。

 そんな感じで、いろんな人にちょいちょい教えてもらってたのが長崎時代で、誰かの弟子になって、しっかりオランダ語の本を習ったということはなかった。
だからこの緒方先生に入門したのが、本格的な蘭学修行の始まりや。まぁ、わしは物覚えが早くて、いっぱいおる門下生の中でも、かなりイケてるほうやったと思う。

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