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Vol.18 家を継ぐことになったんやけど

 そうこうしているうちに、わしも兄貴も大変やし、一旦、大分の実家に帰って養生しよかという話になってな。その年の五月頃、二人一緒に船に乗って大分の中津まで帰ったんや。その後、兄貴もだいぶ良くなったし、わしは完全に回復したから、八月にはとりあえずわしだけ大阪に戻ってきた。

 大阪に戻ってからは、すこぶる元気で、一人で自炊して毎日緒方先生の塾に通ってた。

 でも、その翌月、大分から一本の手紙が届いたんや。中を開けてみると「九月三日に兄が病死したから、すぐに帰ってきなさい」ていう訃報や。

 急いで帰ったけど、実家についたころには、葬儀も全部終わって、何もかも片付け終わったあとやった。で、親族から言われたことは「お前が福澤家を継ぐことになったから、全部手続きも済ませておいたよ」と。まぁ、順当にいけば、わしが継ぐしかないんやけど、本人に何の相談もなく勝手に決まってたことには正直驚いたわ。
 で、継ぐことになってからが大変やったんや。兄貴といえども、一応名目上は親になるから、五十日間、喪に服さなあかんし、家業も継がなあかん。家業いうたら、藩へのお勤めや。
 でも、わしからしたら中津に留まる気持ちなんて、これっぽっちもないし、毎日上の空。とはいえ、藩の正式なお勤めやから、サボることも出来ずに毎日、ちゃんと出勤して、何を言われてもハイハイと聞いてた。心の中では、また出ていくことは決めてたけど、誰にも話されへん。

 近い親類ですら、西洋のことは大嫌いで、叔父さん相手に、ポロっとまた出ていきたい、ていうようなことを言うたら、めちゃくちゃ怒られた。「アホみたいなこと言うな!兄貴が死んでお前が継いだからには、ご奉公するのが当たり前やろ!それが、よりにもよってオランダの学問をやりたいからやと?アホぬかせ」と。こんな叔父さんを説得するなんて、まぁ無理やん? でも、心の中では決めてるもんやから、ふと口から出たりしてるんやろな。

 諭吉がそんなこと言うてるらしいという噂も飛び交って、ある時、近所の婆さんがやってきて「お前、なんかまた大阪に行きたいとか言うてるらしいやん?そんなんまずお前のお母さんが許さんやろうけど、ほんまお前、頭おかしいんちゃう?」と来たもんや。この時の気持ちったら、ホンマないで。

そこで一人で考えてん。
「もうこれはどうしようもない。頼れるのおかんだけやわ。おかんさえ承諾してくれたら、誰に何て言われてもどうでもええ」と。で、おかんに正直に話した。
「お母さん。今の僕の状況なんやけど、長崎に引き続き、大阪に行って蘭学の修行してるんです。成果も出てきてるし、このまま行けばモノにできると思ってます。一方でこんな藩におっても、腐ってまうだけやし、こんな中津なんかで腐りたくないんです。お母さんは寂しいかもしれへんけど、大阪に行くことを許してくれませんか?僕が生まれた時、お父さんは、僕を寺の養子に出すって言ってたらしいじゃないですか。だから、私は寺の小僧にでもなったと思って、諦めてくれませんか?」

 もし、わしが出ていったら、福沢家には、年老いたおかんと死んだ兄貴の娘の二人しかおらんくなるし、女二人で大変やってことはわかってたんやけど、それを承知でお願いしてみたんや。

そしたらおかんはこう言うてん。

「うん。ええで。」

え、マジで?

「おお。気にしなさんな。お前の兄さんも死んでもうたけど、死んだもんはしゃあない。お前もどっかに出ていって、そのまま死ぬかもしらんけど、それもしゃあないわ。お前の人生やから好きにしたらええ。」

「ホンマにありがとう!」

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