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松下幸之助と『経営の技法』#162

7/26 叱った時間に授業料

~時間は貴重なものである。お金と同じ価値がある。~

 先頃、うちの会社によそから新しい社員が入ってきた。
「君、松下に入って何か感ずるところがあるだろう。その感ずるところを話してくれ」「これこれです」「それだけか」「そうです。これこれであきまへんか」「私は君にひとつ忌憚なく話をしよう。君の今の答弁は50点や。私は少なくとも70点感じて欲しかった」
 そう言っていろいろと叱咤もし、意見も述べて、そのあとで手を差し出した。向こうさんはさんざん叱られたあとで、何ごとだと思って、私の手を見ている。
「のせてんか」「なんでんね」「5千円の授業料をのせてんか。わしが最前から貴重な時間を20分もさいて、君と話してるのや。5千円払うても価値のあることや。まあ今日は負けとくわ」
 そこでピンと来るものがある。これは効果があった。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 転職先の社長からお説教され、授業料を払えと言われ、今日は負けとくと言われ、この従業員はどのように感じ、どのように考えたのでしょうか。
 今の時代だと、心配するのが、例えば入社早々に経営者にマウンティングされた、などの批判をされることです。会社の従業員として活躍してもらうつもりが、逆効果になってしまうことが、心配されます。つまり、経営者が自分の優位性を強調するために説教をした上に、さらに授業料を要求しているわけですから、今後、どれだけ無理難題を押し付けられるのか、と心配することが心配されるのです。特に、松下幸之助氏は従業員の自主性を重んじる経営者です。その経営者が、中途入社してきた従業員を威嚇し、黙らせることができた、というようなことを自慢にするはずがありません。
 もし、ここでの松下幸之助氏の言葉を、途中入社の従業員に対する牽制や威嚇が効いた、上司の言うことを聞け、上司の意向を忖度しろ、というような意味に捉えるのであれば、それは氏の意向に明らかに反するでしょう。
 けれども、松下幸之助氏は、これが上手くいったと言ってます。必ず、氏の経営方針にあう何らかのプラス効果があったはずです。どのようなプラス効果があったのでしょうか。
 1つ目の仮説は、経営者の時間を奪った分の補償を要求されることで、時間の大切さを学んだ、という評価です。
 しかし、中途入社の従業員にとってみれば、何か指示や注意を受けると、それだけで上司の時間を使ったと非難されることを意味しますから、上司に注意されたり、叱られたりしないように、とにかく目立たないようにすることが大事、という意識につながりかねません。もし、松下幸之助氏の「効果があった」という言葉が、注意する必要のない、おとなしくて目立たない従業員になった、という意味なのであれば、これは、「脅しが効いた」ということと大差がありません。なぜなら、その後、私の時間を奪うような余計なことをしなくなったから、という意味になるからです。
 もちろん、ここまで極端に委縮せず、その後は松下幸之助氏の性格や意向を忖度して、怒らせないように上手に振舞うようになった、という意味かもしれません。
 もし仮に、その程度の問題だとしても、中途入社の従業員に対する威嚇効果は十分です。なぜなら、経営者と議論をして時間を取るだけで、ネガティブに評価されるからです。つまり、経営者の時間を奪った、という事実だけが問題になるのであれば、その内容がたとえ会社のために役立つものだとしても、あるいはたとえ会社のためという善意に基づくもんだとしても、マイナスに評価されるから、余計なことは言わぬが大人、という活気のない従業員を作り出してしまうのです。
 このような状況は、機会あるたびに従業員の自主性を重視し、多様性や活気のある職場を重視している松下幸之助氏のイメージと、全く逆です。したがって、「授業料」という話が、時間の大切さ、という結論につながるとは、とても考えられません。
 2つ目の仮説は、働いて返せ、という言葉の意味を理解した、という評価です。
 もちろん、これも受け止め方を間違えると、奴隷のように借金を体で返せ、文句を言わずにつべこべ働け、という、いわばブラック企業そのもの、という意味にも取られかねません。
 けれども、①この中途入社の従業員は、直接、経営者から会社経営について意見を求められる立場であること、②期待が高いからこそ、50点としか評価してもらえないこと、③任されている部分があるからこそ、足りない部分に関する経営者からのアドバイスに対し、価値を感じるべきであり、氏はそのことを「授業料」という形で指摘したと評価できること、④70点は感じて欲しかった、ということは、感じることが期待されていたということである。やるべきことを理解したかどうか、という知識の点数ではないから、指示されたことをただ忠実に守れ、という話ではない。感じたら、次にそれでどうするのか、という問題が必ず付いてくるはずだから、この中途入社従業員に求められるのは、指示に従うことではなく、むしろ感じたことから何かを考え出すことが求められているはず、と考えられること、等が、通常の従業員への指導と異なるポイントと考えられます。
 すなわち、この中途採用の従業員は、ある程度のチームを任されるべき立場なのでしょう。
 そうすると、同じ経営者である松下幸之助氏と同じ目線で考えろ、マニュアルやノウハウ本のように黙っていても与えられたり指示されたりするものではない、一々すべて失敗から学ぶ必要はなく、要領よく人から学んでも良いが、それは本来なら指導料を払って学ぶべきものなのだ、というようなことが、「授業料」によって学べた、松下幸之助氏のメッセージだと思うのです。
 このように見ると、松下幸之助氏が常に重視している、従業員の自主性や多様性と一貫していることが理解できます。すなわち、自主的に判断することが期待されるほどの立場だからこそ、その分責任も重く、だからこそ同じような経営者自身のアドバイスは、指示や命令ではないので、お金を払う価値があります。つまり、従業員はいずれも、(程度の差はあるものの)経営者の意識を持つことが期待されているのです(例えば、6/30の#136など)。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、ここでの松下幸之助氏の話は、従業員に対しかなり手荒な方法で意識改革を迫っていると言えます。上記1のとおり、おそらく、指示や命令を待っている様子の途中入社の従業員に、自分で感じ、自分で考え、自分で決断することを実感させようとしたのでしょう。
 このことから学べる経営者の資質は何でしょうか。
 それは、前提として、従業員を命令や規則で縛り付けるような経営モデルではなく、従業員の樹種性や多様性を重視するような経営モデルの場合ですが、従業員に自主性をもって仕事に取り組んでもらうために、単に耳触りの良いことを言うだけでなく、責任を伴う厳しいものであることも伝えるような人材管理や人材教育の資質も、求められると考えられるのです。

3.おわりに
 話の様子から見ると、どんな従業員に対してもうまくいく方法ではなさそうです。「これは効果があった」という言い方は、効果がなかった場合のあることを前提にしているからです。
 そうすると、自ら感じ、判断すべき立場にあることを実感させるべき、それなりのレベルと能力がもともとある上に、このような話の仕方で変な誤解をせず、正しく理解してくれる人物であることを、会話の中で見抜いていたと考えるべきでしょう。
 すなわち、相手を選んで話すべき事柄であり、話す側の「人を見る目」も重要になるはずなのです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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