松下幸之助と『経営の技法』#229

10/1 上には上がある

~修業を積み、体験を積むほどに、世の中の偉大さというものがわかってくる。~

 昔の日本の古い言葉に、「実るほど首を垂れる稲穂かな」というのがありますが、結局人間は修行を積み、いろんな体験を積んでくると、だんだんものの偉大さといいますか、世の中の恐ろしさというものがわかってくる。一知半解の徒というものは、一面だけを見て全面を見ることができないから、自分に都合のいいような解釈をしてものを判断しようとする。しかし修行を積んでくると、だんだんと世の中の偉大さ、恐ろしさというものがわかってくる。
 剣術でも、少し習ってうまくなってくると、誰でも彼でも自分より弱く思える。太刀さえ取れば自分が勝つように思える。しかしその域を脱すると、“自分も相当修行できたかもしれないけれど、しかし上には上がある。自分よりも上の人がたくさんある”ということがわかってくる。そこではじめて、自分がどういう立場、どういう態度でおらねばならんかということがわかってくる。そうなってくると、さらにその人は向上する。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

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1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 最初に確認すべきは、ここで松下幸之助氏が、「実るほど首を垂れる稲穂かな」を通して説いている内容です。それは、①経営者は謙虚でなければいけない、②謙虚でない経営者は未熟だ、③謙虚だとさらに成長する、ということでしょう。
 この点を若干補足すると、「謙虚」は「卑屈」とは異なります。自分自身を客観的に把握していて、自分の身の丈に合った「自信」がある代わりに、それを上回る能力がないことも自覚しています。自分に自信が全くないわけでもないし、本当は自信があるのにそれが無いようなふりをしているわけでもありません。特に、後者の、「自信があるのにそれが無いようなふり」ほど鼻につくものはなく、そのような嫌みも伴った「卑屈」と、本当の「謙虚」は、たとえ表面的には「私は大した人間ではございません」と同じ言葉で答えてみても、明らかに異質なのです。
 このことは、氏の、「自分も相当修行できたかもしれないけれど」という言葉が表しています。本当に「首を垂れる稲穂」であれば、自分自身も客観的に、ありのままに評価し、受け止められるのです。つまり、④実態を偽って自分を小さく見せるために謙虚になる(フリをする)のではなく、自分自身を客観的に評価する結果、自然と謙虚になることを、松下幸之助氏は求めているのです。
 そこで、これを前提とした組織論上の問題です。
 なぜ、組織論上の問題が生じるかというと、会社は経営者のミッションを遂行するためのツールだからです。経営者は、ガバナンス上、株主に対して「適切に儲ける」ことをミッションとして負っていますが、それは経営者が1人で達成するのではなくて、会社組織を指揮し、その活動によって達成します。
 ですから、経営者のあるべき姿は、会社のあるべき姿でもあるのです。
 そして、内部統制の観点から見ると、特にここでは④に注目します。すなわち、自分の会社の実力を、過大でも過少でもなく客観的にありのままに把握することです。
 ところが、これは意外と難しいものです。
 というのも、組織は従業員全員と同じ方向に向かってベクトルが揃っていなければ、組織としての力を発揮できません。そのために、規律などで縛ることもある程度必要ですが、従業員の会社への忠誠心や愛着などの求心力を高める方法も重要です。それには、会社がいかに社会に貢献しているのか、会社はいかに素晴らしいか、そこに所属する我々従業員もどれだけ素晴らしいか、という自信やプライド、インテグリティ―につながることを従業員に発信し続け、そのように実際に思わせることが必要です。
 そうなると、受け止め方は人それぞれですので、従業員の中にはこれを課題に受け止め、必要以上に偉ぶってしまい、とても「首を垂れる稲穂」とは言えない状態になる人も出てくるでしょう。むしろ、経営者1人個人の問題であれば、経営者の心がまえだけで済むのですが、会社全体の問題となると、人様の心の問題であり、他人が操作できる問題でもないため、非常に難しくなるのです。
 つまり、内部統制の問題のうち、特に従業員全員が④の意味での「首を垂れる稲穂」になってもらうためには、一方で、会社や自分自身に対する自信を持ってもらうために、気持ちを盛り上げていかなければならず、他方で、過剰に自惚れないように、それぞれの至らなさを自覚してもらわなければなりません。どちらの方向についても、相当の影響力と効果がなければならず、しかもそのバランスが取れていなければならないのです。さらに言えば、力づくで頭を押さえるのではなく、全従業員にそれぞれ至らなさを自覚し、納得してもらうように誘導することが必要であり、まさに、人格的な教育となるのです。
 このことから、松下幸之助氏自身がこのように語り掛けることが重要になってくるのです。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者を選ぶ際に参考にすべき経営者としての素養を、松下幸之助氏の言葉から読み取りましょう。
 これは、上記のとおり、自分自身が「首を垂れる稲穂」であるだけでなく、それを会社に徹底することができるリーダーシップです。しかも、力づくで押さえつけるのではなく、全従業員が自分自身の言葉で納得することが重要なので、その気の遠くなるような人材教育にしっかりと取り組んで成果を出せるだけの、忍耐力や指導力、人間的魅力も必要となります。
 このように、会社を経営する資質は、人間的な魅力にまで及んでいくのです。

3.おわりに
 さて、会社が自身と謙虚さを兼ね備えたらどうなるでしょうか。
 それは、リスク管理で言えば、PDCAサイクルが適切に機能し、経営面で言えば、カイゼン活動、QC活動、シックスシグマ等の自主的な取り組みのほか、日頃の経営の中での様々な取り組みの品質向上が期待できる状況になります。会社や従業員それぞれの強みと弱みを正しく理解することが、成功確率の高い戦略や具体的施策につながることは、特に説明するまでもないことでしょう。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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