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松下幸之助と『経営の技法』#225

9/27 通念を超える使命観

~社会通念に従って努力するだけでいいのか。もっと高い使命があるのではないか。~

 私の仕事はもともと家内と義弟の3人で、いわば食べんがために、ごくささやかな姿で始めたことでもあり、当初は経営理念というようなものについては、何らの考えもなかったといっていい。もちろん、商売をやる以上、それに成功するためにはどうしたらいいかをあれこれ考えるということは当然あった。ただそれは当時の世間の常識というか、商売の通念に従って、“いいものをつくらなくてはいけない。勉強しなくてはいけない。得意先を大事にしなくてはいけない。仕入先にも感謝しなくてはならない”というようなことを考え、それを懸命に行うという姿であった。そういう姿で商売もある程度発展し、それにつれて人もだんだん多くなってきた。そして、その時に、私は“そういう通念的なことだけではいけないのではないか”ということを考えるようになったのである。
 つまり、そのように商売の通念、社会の常識に従って一所懸命努力することは、それはそれで極めて大切であり、立派なことではあるけれども、それだけではなく、何のためにこの事業を行うかという、もっと高い“生産者の使命”というものがあるのではないかと考えたわけである。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

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1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 経営学(特に経営組織論)では、組織の一体的な活動を可能にし、組織の力を発揮するための様々な分析が行われています。もちろん、組織体系の在り方など、組織論という言葉からイメージしやすいツールが研究対象であることは、当然です。
 さらに、従業員の意欲や場の雰囲気など、従業員の心理に関する問題も研究対象となっています。心理学を活用した研究成果が、経営学の中に取り込まれ、大きな成果をあげているのです。
 その中でも、従業員のベクトルを合わせることの重要性やその内容は、重要なテーマです。団体競技などでは、「心を1つに合わせて」等と言われ、それがチームの一体性を高め、結果を出すことにつながることは、誰でも容易に理解できますが、それを会社組織にも応用するのです。
 もちろん、会社が目標を達成すれば全員で美味しいものを食べに行く、というような即物的な「飴と鞭」にも一定の効果がありますが、より持続的な効果が期待されるツールとして、ここで松下幸之助氏がコメントする「生産者の使命」のような、会社の目標を定め、共通の価値を共有する、という方法もあります。
 従業員の側からすると、会社の使命や目標、ポリシー、等をバカにする人もいます。どんなに経営者が頑張って会社のポリシーを訴えても、従業員が心の底からそれを受け入れ、心酔してくれるわけではありません(そういう従業員も出てくるでしょうが)。
 それでも、会社のポリシーを作り、常にこれを発信し続け、浸透するように働きかけることには、それなりに意味があります。それは、会社のベクトルに自分をどのように合わせるべきかを測る「ものさし」になるからです。従業員も、仮に心の底で賛同できないところがあるにしても、給料をもらう以上は貢献して評価されてより高い給料が欲しいと思いますから、打算的と言われようが、自分が会社に評価されるための行動の仕方を考えるのが普通でしょう。
 例えば、会社のポリシーが定まっておらず、経験的にその会社に漂っている雰囲気だけで仕事をしていると、うまくいっている時は良いのですが、予想外の状況に陥った時、どのような行動を取るのかについて判断が分かれてしまい、チームリーダーが方向性を指示してもチームがまとまらない事態にもなりかねません。
 けれども、普段から会社のポリシーが浸透していれば、多少の意見の違いがあっても、進む方向は予測可能な範囲になるでしょうから、予測できない状況での対応についても、素早く会社の進むべき方向に全体のベクトルを合わせることができます。
 会社の使命、目標、ポリシー、経営方針などは、それだけで人を突き動かすエネルギーにならなければならない、というイメージがありますが、そこまでいかなくても、会社と従業員のベクトルを合わせる方向性を示せれば、それだけでも十分意味があるのです。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 ここでは、「当時の世間の通念」「商売の常識」に従って商売をしていた、という点です。
 日本では、古来、商人の社会的な責任が自覚され、貧民救済や災害後の地域復興には資産を有する町人が負担し合う、という制度が、例えば江戸では「七分積金」という制度として確立していました。これは、寛政の改革の一環として松平定信の打ち出した構想で、平時からそれぞれの町が所定の金額を積み立てるもので、それによって基金の際の打ちこわしなどの暴動も小さく抑えられ、江戸の治安維持に貢献したと言われています。
 さらに、このような幕府の定めた公式な制度だけでなく、様々な城下町で、様々な形での商人による社会貢献活動が行われていて、様々な形で地域社会の維持発展に貢献していた、と言われます。
 それには、当時の商人の商道徳観もありましたが、それに加え、日頃から地域貢献していない商人は、基金の際の暴動で打ち壊しの対象にされ、地域貢献している商人はそれを免れる、などの目に見える「信賞必罰」的な影響があったからです。
 日本では、欧米のように株主の権利行使が盛んでなく、社会的な制裁も小さいと思われていたからか、企業の社会貢献は、バブル崩壊後急速に縮小しました。しかし最近は、株主総会での株主の発言は株主提出議案の増加など、株主の権利主張が強くなってきているだけでなく、近時の数多い品質偽装(食品、素材、製品など)に対するマスコミや社会からの強烈な批判や、それによって経営危機にまで追い込まれた事例などを考えれば、会社は社会の一員として認められなけらばならない、という江戸時代の言葉が当てはまる状況になってきたと言えます。
 欧米の企業も、早い段階から、コンプライアンス、ノブレスオブリージュ、企業の社会的責任、CSRなど、様々な言葉で企業の社会性が強調されてきましたが、日本もそれが現実化し始めてきたと言えるでしょう。
 そして、ここで松下幸之助氏は、このような社会的責任を事業開始のときから自覚し、対応してきたと話しています。それが、関東大震災後の大恐慌や太平洋戦争後の混乱を乗り越えるための信頼を勝ち取った最大の要因であることは、氏の他の言葉から理解できるところです。
 つまり、松下幸之助氏は、企業の社会的責任を果たすべき経営を一貫して行い、その有効性を身をもって実証したのです。

3.おわりに
 小さい会社から始めた当初、まずは外との関係でその社会的責任を果たし、その後、大きくなった会社の内部にもその考え方を徹底し、浸透させることを始めた、というのが、氏の実践した会社の成長プロセスです。
 会社は、いずれ社会の一員として認められなければならなくなる、ということを理解して、会社経営にあたらなければなりません。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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