松下幸之助と『経営の技法』#335
1/15 全身全霊を打ちこむ
~全身全霊で一心に打ちこむ姿が人を動かす。知恵と力が集まり、成果を生み出す。~
いささか厳しい言い方をすれば、本業に全身全霊を捧げて、そこに喜びが湧いてこないというようなことでは、その本業から去らなければならないという見方もできると思います。能力の問題ではありません。それに全身全霊を打ちこむ喜びを、もつかもたないかの問題です。
力が及ばない、という人はたくさんあると思います。しかし、及ばないなりに一心に打ちこむならば、その姿はまことに立派なものがあると思うのです。そういう姿が、人に感銘を与え、人を動かすことになります。そこに知恵と力とが集まって、成果を生むことができるようになってきます。
ところが、そういうものがなかったら、いくら力があったとしても、それだけにとどまって、大きな成果はあげられないと思います。ですから、そういう意味で、本業に全身全霊を打ちこんで、なお興味が湧かないというのは許されないことだといえましょう。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)
1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
まず、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
投資家である株主と経営者の関係で見た場合、経営者は投資対象ですから、しっかりと儲けてもらわないと困ります。逆に、投資家はそのような経営者の資質を見抜くことが必要です。
ここでは、まず「全身全霊を打ちこむ喜び」の意味です。「全身全霊を打ちこむ」の部分の意味は良いでしょう。
問題は「喜び」ですが、ここでは、全身全霊を打ちこむことで「喜びが湧く」と表現され、同様に「興味が湧く」とも表現されています。仕事に必死に取り組んでいるうちに仕事が面白くなってくる、という趣旨の話を、松下幸之助氏自身が何度かしていますので、「喜び」は、興味であり、だから仕事が面白くなってくる、ということと考えられます。
つまり、いくら一所懸命仕事に取り組んでも、仕事が面白くなってこないのであれば、そのこと自体許されないことだし、その仕事から離れなければならない、と言っています。つまらないと感じる仕事に取り組んでいることが許されない、ということになります。
これが許されないとまで言われてしまうのは、それが経営者だからでしょう。
なぜなら、好きな仕事に取り組んでいれば、「人に感銘を与え、人を動かす」、「知恵と力とが集まって、成果を生む」のですが、それこそが経営者に求められる資質なのでしょう。人を動かすのが経営ですが、命令と脅しで人を動かすのは企業ではありません。ここで示されたように、それぞれの従業員が自分の判断で集まってきて組織を作り、成果を出す、そのような経営が必要です。
つまり、自分自身が好きで仕事に取り組まなければ、組織は成り立たないことになりますから、経営者として無責任ということになり、許されないことになるのです。
逆に言うと、経営者として人の上に立つには、自分の仕事を自分が楽しいと感じなければならず、そうなるまでは修業であり、打ちこんで楽しいと思える仕事探しの旅が続くことになるのでしょう。
2.内部統制(下の正三角形)の問題
次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
社長が打ちこむ姿に感銘を受けた従業員が集まれば、それだけで自然と組織になる、と言うほど簡単ではありません。もちろん、このように人が集まってくる組織には、幸いなことに求心力があり、従業員と会社のベクトルも合わせやすいというメリットが最初から備わっています。
このメリットを十分に活用し、活力やモチベーションの高い組織を作り上げることが、経営者の課題です。
3.おわりに
もう一つ気になる表現は、「いくら力があったとしても、それだけにとどまって、大きな成果はあげられない」という部分です。人が集まらなければ、自分一人の力だけでやらねばならず、組織の場合に比較すると成果が小さくなる、という意味でしょうか。
どう思いますか?
※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?