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松下幸之助と『経営の技法』#290

12/1 逆境も順境も尊い

~自分に与えられた境涯に生きる。逆境であれ順境であれ、素直に生きていく。~

 逆境――それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯に鍛えられた人はまことに強靭である。古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも、不屈の精神で生き抜いた経験を数多く持っている。
 まことに逆境は尊い。だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではなかろうか。
 逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。
 素直さを失った時、逆境は卑屈を生み、順境はうぬぼれを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはその時のその人に与えられた1つの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。
 素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は違っても、同じ強さと正しさと聡明さをもつ。
 お互いに、とらわれることなく、甘えることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

2つの会社組織論の図

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 育ちがよくて優秀な人が、周囲からひがまれ、さんざん叩かれたり足を引っ張られたりし、結局才能の芽を摘まれてしまうことが多くあります。恵まれた環境で育ったことが、逆に恵まれない環境を作り出してしまう、という皮肉は、多かれ少なかれどこの国にもあることです。また、最近の「格差の固定」「社会の分断」などといわれる問題は、恵まれた環境で育った人たちが、辛い思いをするような環境を避け、同様の恵まれた環境の人たちとだけ付き合うようになってきたことと、少なからず関係があるように思います。
 松下幸之助氏も、そのような事態まで想定して憂いているのかは分かりませんが、ひがみや妬みにとらわれることの問題を、何度も説明しています。
 今日の松下幸之助氏の言葉から、まず、会社組織論・内部統制の問題を考えましょう。
 1つ目は、会社の中に「格差」「分断」が生じたなら、組織運営が難しくなる点です。
 どのような組織でも、リーダーとプレーヤーの役割があり、多くの場合、リーダーの方が、収入、権限、ステータス、与えられる仕事の重要性、など様々な面で差がつきます。テニスコートではテニスの上手な人、スキー場ではスキーの上手な人が格好良いように、職場では仕事のできる人が格好良いですから、リーダーの方がプレーヤーよりも格好良く見えます。その中で、ひがみや妬みが大きくなってしまうと、職場がギスギスとしてしまい、チームの生産性が下がり、さらに組織の崩壊につながりかねません。
 そのような、「格差」「分断」を防ぐ、という狙いが垣間見られます。
 2つ目は、人材活用です。
 すなわち、「順境」で育った優秀な人材も積極的に取り込んで、その能力を活用しようと考えるのであれば、そのような人材が働きにくい状況では駄目です。周囲から、ひがみや妬みをなくさなければなりませんし、本人も、自信を持って堂々と自分を伸ばしていく意識を持たなければなりません。日本社会一般に、そのようなひがみや妬みの意識が減ったのかは分かりませんが、少なくとも自分の会社ではそのようなことを考える人はいないんだ、ということになれば、「順境」出身の人材も集めやすくなるのです。
 3つ目は、多様化です。
 上記2点と重なるところですが、特に従業員にどんどん権限移譲する経営モデルを磨き上げてきた松下幸之助氏から見れば、会社は従業員とともに、経営者のコントロールできない領域まで大きくなって欲しいところであり、従業員の多様性が重要となります。「逆境」タイプから「順境」タイプまで、従業員はこの2種類ではなくこの中間にグラデーションのように存在するはずですが、その多様性の良さを発揮させることも重要です。
 このように、松下幸之助氏の言葉は、会社組織を運営してきた経験もあっての言葉と考えられます。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、「順境」出身の経営者の資質が問題になります。
 一般的に言えば、松下幸之助氏のような創業者に「逆境」出身者、二代目、三代目など、オーナー会社の跡取りに「順境」出身者が、多いように思われます(どうでしょう?もちろん、逆の組み合わせもあります)。
 その中で、マスコミや社会が好むストーリーは、「順境」出身者のボンボンが伝統ある会社を潰してしまった、というストーリーです。甘やかされているため、辛抱できず、他人を思いやれず、責任感がない、等経営者に向かない資質のオンパレードです。これだけ経営者に向いていない人間をよく育てたものだ、どうやったらこれだけ経営者に向かない要素ばかりを詰め込めるのだろう、と逆に興味が湧いてしまいます。
 けれども、逆に「順境」ならではの教育を受け、経営者の資質として相応しいものが、これでもかというほど詰め込まれた経営者もいます。いわゆる「帝王学」です。まず、父親の活動している様々な社会に関わっているため、人脈が広く、多少のことでは動じない度胸や度量があり、人を見る目も確かです。高級料理店に行ってもビビらないのは当然ですが、決して贅沢をしてきたわけではないので、吉野家の牛丼も好物です。愛情たっぷりに育てられているため、荒んだところがなく、特に弱い人に対する愛情や配慮も、嫌みでなく自然と出てきます。伝統を大事にし、会社のコアを知り尽くしていますが、新しいことに対する好奇心や、それを試そうとする実行力もずば抜けています。
 特に、創業100年を超える企業を研究する「老舗学」では、企業が長生きする秘訣が最大のテーマですが、多くの研究が異口同音に言うのが、コア部分へのこだわりを大事にしつつ、社会の変化への対応は柔軟・迅速であること、という点です。この観点から見ると、「帝王学」を学んだ「順境」経営者は、まさに企業を長生きさせるための教育を、全人格的に施されてきた人材と言えます。
 このような「帝王学」修了者も、極端な例ですが、少なくとも言えることは、経営者の資質として見た場合にも、「逆境」「順境」だけで結論が出ない、という点です。

3.おわりに
 自分も、ひがみや妬みを抱きながら司法試験の勉強をしていました。ひがみや妬みは、自分が「順境」出身でないことだけが対象でなく、「逆境」出身でないことも対象でした。要は、中途半端だったのです。
 合格後、ひがみや妬みの対象だった「順境」出身者のたくさんいる法律事務所に就職しました。驚きました。自分よりも遥かに優秀なだけでありません。自分よりもたくさんの仕事をこなしており、しかも自分よりも遥かに努力しています。人間としても非常に素直で、嫌みなところがなく、心にさざ波を立てている自分が見透かされないか不安になるほど、澄んだ瞳で話を聞いてくれます。この人たちと比較すると、ひがみや妬みで、自分はどこかが歪んでいるのではないか、といつも心配になっていました。
 そのころから、ひがみや妬みよりも、まっすぐと向き合えるピュアな威厳とでも言うべきことを、自分も身につけたいと考えるようになったのです。まだまだですが。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。

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