Twitterを辞めた

大学で出会ったある同級生の生き方が、俺の人生を少し変えた。

そいつの名前をAとしよう。
Aは現代の大学生には珍しく、自分の生き方を貫いている奴だった。 

大学生にありがちな、明け方に寝て昼過ぎに起きるような生活はせず、10時には寝て6時に起きる生活を毎日繰り返していた。

そこまで行きたくない飲み会に無理に行ったりはせず、その金はもっと有意義なことに使っていた。でも付き合いが悪いとか全然そういう事はなく、自分が行きたい集まりには積極的に参加していた。

そして、AはTwitterもInstagramもFacebookもやっていなかった。LINEは流石にやっていたけど、必要以上に人と連絡をとる事はなく、あくまで手段としての使用に留めていた。

一言で表せば、Aの生き方は素朴な生き方だった。だが、勉強はしっかりするし、頭もよかった。
Aは他人に影響されすぎることなく、自分の価値観でしっかり動けていた。

そんなAの生き方を見て、現代人は周りの行動や考えに影響されすぎなんじゃないかと思うようになった。されすぎ、といっても現代人そのものを批判しているわけではない。影響を受けざるをえない環境そのものへの批判だ。
そしてその環境を作り出している一因がSNSなんじゃないか、と思うようになった。

今日日、TwitterやInstagram,Facebookを開けば、友達がどこで何をしているかの情報はうんざりするほど入ってくる。今日の夜どこで飲んでいるだとかのちょっとした情報から、今は海外勤務でアメリカに住んでいますなんて情報まで。
また、友達が何を考えているかについても知ることができる。
これも、今日の出来事に対する愚痴から、世界的な問題に対する意見まで様々。
これだけの情報を浴びればどんな人でも少なからず影響をうけるはずだ。

そもそも本来なら、その場にいない人のことなんて何も分からないのが自然じゃないだろうか。
バイバイをして別れたあとの友達の行動なんて知らないし、会ってない時の恋人が何をしているかを知る方法はない。
今日あった出来事に関して友達が何を考えているかは本人に聞かなければ分からないことだし、ましてや高校を卒業して以来会っていない同級生が今どこでなんの仕事をして、どんな人生を送っているかなんて知ってるほうがおかしい。

つい数十年前まではこれが当たり前だったのに、ここ最近はその当たり前が全くもって当たり前じゃなくなっている。そんなことを考えて、俺はある日Twitterを辞めた。そして、その代わりに日記をつけ始めた。

それからの毎日は、劇的に変わったりはしないけど、少しずつ楽しいものになっていったように思う。趣味に使う時間が増えたり、本を読んだりする時間が増えた。そして、何より自分の頭で考える時間が増えた。
Twitterの転がっている意見はその人の意見でしかなく、自分の生き方は自分で見つけていくしかない。人の意見を鵜呑みにすれば考える手間がなくて楽だけど、それじゃあ自分にとってぴったりハマる生き方は永遠に見つけることができない。そんな当たり前のことにTwitterを辞めてから気づいた。

だから、Twitterを含むSNSに踊らされて右往左往している人に言いたい。
Twitter、辞めてみませんか。

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