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写真と言葉の関係についての覚書

個展が始まって1週間になります。その間にもいろいろな出会いがありました。意外だったのは、ポストカードの売れ行きが非常に順調なこと。これまでいろんな場所で個展を開いてきましたが、ポストカードを作ったのは初めてです。それも、1枚単位ではなく5枚セットがすでに売り切れてしまっているということ。新たに100枚分の5枚セットを作りましたので、明日の在廊時に納品してくる予定です。明日は午前中と、午後3時ごろから在廊する予定です。お時間のあるかたは、是非とも新宿ベルクにてお会いしましょう。

さて、今回の個展ではいろいろなチャレンジをしてみました。そのうちの一つが、個展記念の小冊子(JINE)の制作です。写真一点につき、ひとつの3行詩をつけて冊子にしました。写真に詩をつける、ということはこれまでやったことがありませんでした。写真は写真、詩は詩、と切り分けて考えてきていたためです。お互いに補完関係にはあると思いますが、合作、というのは初めてです。これは受注生産のため会場で直接買うことはできませんが、サンプルを2点、喫煙コーナーのカウンターに置いておりますので、是非とも手に取って見てみていただきたく存じます。

写真と詩の関係については、これまで長きに渡って考えてきたことでした。個展開催前の本稿で、パリにおいて写真で完結させようと思った「trans」シリーズに失敗し、詩で表現しようと思ったところまで書きました。その時の滞在期間3週間で書き上げたのが、私の処女作品「記憶の道端」になります。これには谷川俊太郎先生が、帯に文章を寄せてくださり、初のコラボレーションが実現しました。

執筆は、3週間の旅程のうち、最初の2週間で終わりました。書き上がった、という意味ではありません。書くのをやめたのです。そこまでに至るには大変な至難がありました。簡単にお話しします。詩を書き始めて、筆は順調に進みました。サミュエル・ベケットの文体に影響を受けたと言いましたが、その文体が頭から離れず、詩はどんどんと書き進んでいきました。しかし、書くに従って私の世界はどんどん内面に沈んでいきました。詩の世界は写真と違って外界との接触は必要ありません。それでも私は35mmカメラを片手に街を歩いては写真を撮り、一呼吸にカフェにはいっては原稿を書き、夜はホテルで原稿を書き、の繰り返しの日々でした。

そうしてどんどん内面世界に沈んでいくに従って、原稿も進んでいきましたが、私の行動に変化が生まれてきました。書くべきものがどんどん胸の内に膨らんでいき、出口を求めて書き進めましたが、それでは追い付かないほどのスピードで内面は膨らんでいきました。それでも出口はありません。気付いたら、私は私の身体をナイフで切り始めていたのです。血が流れ出ると、私の中に言うに言われぬ平安が生まれました。

自傷は書くに従ってエスカレートしていきました。起きたらベッドが血塗れ、という朝もありました。そして「このままでは危険だ」というラインまで来ました。そこで私は書くのをやめたのです。まだ旅程は1週間残っていましたが、残った時間、原稿用紙はホテルの机の引き出しに仕舞い込み、写真を撮ったり、フリーペーパーで無料の音楽会を見つけては聴きに行ったりしていました。その間に撮った写真も、今回の「trans」展に展示してあります。

次回は、書きやめた原稿がどのようにして本になったかをお話ししましょう。

それではまた次回。

成瀬功

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