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紙の本と紙の本の生きる道

焼肉行くならテジカルビ1610です。

お正月にKindle Paperwhiteを買い1週間が経ちました。

ばりばりの紙の本派だったぼくですが、いまでは紙の本にあえて戻る理由が見つからないほどKindle Paperwhiteでの読書にハマっています。

「でもわたしはあの質感じゃないと……紙の本じゃないとだめ」
「本屋で買う楽しみがなくなるのはつらいよなあ……」

その気持ち、今でもめちゃくちゃわかります。

わかるんですが、電子書籍に切り替えてこそわかったこともあります。

使用歴1週間というにわかながら、ここではKindle Paperwhiteが教えてくれたことを精一杯語ろうと思います。


紙の本派の言い分


「そりゃ、電子書籍のほうが便利だわな。知ってるよ。Amazonで言えばKindleの方が紙の本より安いし、すぐ手に入るし、かさばらないし、お風呂で読めるし、Paperwhiteだったら目にもいいんでしょ」

それでもぼくらには、紙を選ぶ、あるいは電子書籍を避ける理由がありました。

ひとつには、紙ならではの利便性。

さっと手に取りさっとめくるのに紙媒体ほど適したものはありません。それはKindle Paperwhiteを使ってて感じた電子書籍の課題のひとつ。

また電子書籍だと書き込みができないということもあります。

無論電子書籍にもメモ機能はありますが、書き込むというアナログ的行為とは別物。ちなみに紙の本の方が記憶に定着しやすいという論文もあります。

でも、一番の理由はこれではないですか?

ずばり、「所有する喜び」


消えていきつつも復興もする「所有する喜び」


Paperwhiteを使って身にしみてわかったこと。

それは、電子書籍は「所有する喜び」を満たしてはくれないということ。

しかし同時に、それは時代の要請でもあるということも痛感しました。

スマートフォンをはじめとする「クラウド」の時代。アプリも個人のデータもクラウドで管理する。CDなどの依代さえもはやいらなくなった。

時代は、所有するモノの時代から、経験を共有するコトの時代に移行している。

一方で時代には揺り戻しがあるもの。

若者を中心にカセットテープが小さく流行しているのもそのひとつ。カセットの時代どころかCDの時代すら経験すらしていない世代さえ、ストリーミングで完結する世の中に物足りなさを抱いている。

しかし、それでも物質的な市場は退場せざるを得ないと思います。

ものごとに実際に触れてみると、本能的なセンサーでわかる道理があります。

Kindle Paperwhiteに触れて、本もまた物質的市場から消えていく運命にあると悟りました。現にアメリカでは現に電子書籍に市場が抜かれています。その傾向はしばらく続き、いずれ紙の本市場は落ち着くところに落ち着くのだと思う。

紙の本が当たり前だった世代が去ると同時に、その「当たり前」は完全に塗り替えられることでしょう。

これは世界的な現象で、ネットが物理的・地理的境界を取っ払った末路です。

GAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)のインフラに乗っからなければ生き残れない時代。そのインフラにどっぷり浸かる身でありながら、ぼく自身も恐ろしくも感じます。


そんな時代だからこそ、本はより本らしくなる


でも逆説的に、そんな時代だからこそ本はその本分を取り戻すのではと思う。

第一に、専門的知識や偽りなき経験に裏付けられたホンモノが厳選される。

YOUTUBE、SNS、そして我らがnote。インターネットに情報が溢れる中で、お金を払って本を選ぶ意義ってなんでしょう? 

「体系化された専門家による質の高い情報を、ノウハウを積んだ編集者が厳選して分かりやすい表現で提供すること」

イエス。でも、いい加減な本もけっこう多いのが現実。

そんな本は、今後は、電子でも紙の本でも生き残りが厳しくなると思う。「SNSによる読書体験の共有」という側面からも言えますが、市場が小さくなることで買い手が手に取るハードルが高まるが故の当然の帰結です。

三行で要約できるような本は消え、どのジャンルであれ純文学的要素(=読書体験の過程そのものの意義)がある本や、エッセンスが希釈されずかつ整理・要約された「地図のように綿密で切り取れない本」が生き残ると思う。

 ※ ちなみにインフルエンサーや文章の素人による500円とかで「素早く出版され、素早く消費」される読み物も増えるでしょうが(このサイトのことだ!)、そういうのはここの文脈では「伝統的な書籍」を論じたいのであえて対象外です。

第二に、装飾を廃するか徹底するかに二極化される。

ペーパーバックに比べて良くも悪くも装飾的と言われる日本の書籍が、電子中心の市場で生き残る方向性は2つ。

1、装飾や中折り広告を廃する。
2、電子にはない強みとしてより高められ強化される。

1にしてみれば、商業的理由に過ぎなかった「目立つ」「差別化する」コストが抑えられ「安価に情報を伝える」本の昔の姿に立ち戻ったと言えます。

2にしてみれば「本にしかできない表現」を突き詰める意味で本らしさへの回帰。

特に2についてワクワクしてます。電子書籍の弱点はフォーマットが決められていること(縦横の比率とか質感)。そこを突いて、飛び道具的な本をもっと出してくれたら楽しいな。

第三に、行動する読書が隆盛する。

行動=本の内容の実践は無論、SNSなどによる発信・交流も含みます。

これまで個人的な体験に過ぎなかった読書は、「自分や他人の行動に影響を及ぼすかどうか」という評価軸で仕分けられるようになる。

紙の本は、所有欲が満たされるがゆえに買うだけ、読むだけで満足しちゃってた。

電子書籍は、物質的空っぽさゆえにごまかしが効かない。

所有の喜びを失う代わりに、ぼくらは「行動」によってじぶんの人生や価値観にコネクトすることに喜びや価値を見出さざるを得なくなると思う。

むろん、「好きだから、気になったから読む」という読書の個人主義は生き残り続けるでしょうが、傾向として「行動に繋がらないなら読む意味がない」というシビアな、よく言えば実践的な考え方が強まると思う。


まとめ


ぼく個人は当面電子書籍派でいきますが、電子書籍が完璧だとも思っていません。たとえば解説系の本。現状「見開きで1まとまり」とされていることが多く、電子書籍の画面では見辛い。

ソフトウェア系の解説書ですら、紙の本に最適化されているんですよね。

でもいずれは「電子書籍ファースト」の時代が来るであろうことは想像に難くなく、その頃には美術本とか写真集とかを除いて、たいていの本は電子に置き換えられるのではないでしょうか。

それでも、紙でしか表現できないものがあるなら、その時はぼくはまた書店に行きたいと思う。というか、伝統的読書家として、心の奥でそんな本を求めている。

少なくとも、テレビの取材とかで、大学の先生の背中で分厚い本の背表紙がズラリと並んでるような、ああいうカッコだけの生き残り方はして欲しくないものですが......。

おまけ

これはぼくの妄想だけど、電子化されることにより行き場をなくした「所有欲」は必ず別の形で結実するはず。そのひとつの形が「クラスタ化」。「そのひとの価値観・生活スタイルにぴったり沿えるか」が鍵となると思う。

Twitterを見れば分かるように、インターネットはぼくらは結びつけると同時に、それぞれの「クラスタ」に分断しました。

「それひとつが体系化された知識」であった本は、今後は「体系化されたクラスタ世界を象徴したり、補完したりするパーツ」になっていくんじゃないでしょうか。

これまでも、各業界ごとに「この業界で生きていくならこれを読まなきゃダメ」的な聖典はあったけれど、今後はそういう傾向がより強まり、かつ広範に及んで、人びとの価値観はトンカツのキャベツばりに細かく細分化され、書籍はそれぞれを象徴したり補完する役目を負うと思う。

権威性を持たない個人が生き方を発信する本が増えてきたのもそのあらわれか...と思うと、この妄想もわりかしそんなにズレてはないというか、あるいはとっくに常識なのかもしれませんが。

何にしろ時代の変わり目って、色々な側面で二極化していくので面白いですね。

 ※ 個人が発信なんて言うと、先ほどの主張「専門的知識や偽りなき経験に裏付けられたホンモノだけに厳選される」と真逆のようですが、さっきのはあくまで文章のプロではないという意味であって、個人にしても(あるいは個人だからこそ)権威性は問われると思います。ただ一定の再現性があれば読む人はいると思うので、「そればっかりやってる専門家」以外にもチャンスがあると言う意味で、権威性のハードルは下がってますよね。

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