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ウィーンの猫カフェ 1        ももが教えてくれたこと

私は1989年から、ここオーストリアの首都ウィーンで暮らしています。2012年にアジア圏外初の猫カフェ、その名もシンプルなCafe Nekoを始め、5匹の猫たちと年中無休で働いています。今回コロナ騒ぎで、飲食業店は丸2か月強制休業になりましたので、このチャンスをありがたく使わせていただくことにして、スピリチュアル系の体験談をまとめました。楽しんでいただけると幸いです。

ここに書かれていることは記憶違いはあるかもしれませんが、すべて事実です。


今まで私の人生で出会ったすべての人と、これからこの本を読んでくださるあなたに、感謝の気持ちをこめて


「ももが教えてくれたこと」

ももは不思議な猫だった。

かごに入れられて公園に捨ててあったそうだが、とても美しい毛並みの三毛で、緑の眼で人間の顔をじっとみつめる猫だった。

ここ、ウィーンで猫カフェをたちあげるにあたって、動物愛護協会から一緒にもらってきた5匹の猫たちのうち、私は誰にきかれても、どの猫が一番お気に入りなのかは絶対言わなかったけれど、私はももにだけ、日本語の名前をつけていた。

ももはカフェを訪れる人々のひざに順々に座ってまわっていて、大人気だった。


2013年11月初めの朝、ももがえさを全く食べなかったので獣医を呼んだのだが、悪性リンパ腫と診断されてしまった。獣医は、10日くらいで確実に死んでしまう病気だから、すぐ安楽死させますか、と聞いてきた。

誰が、そんなに簡単に愛する対象と別れる決断ができるのだろうか。

ももはまだ8歳で、いつもの優しい、機嫌のよい、美しい猫だったので、私には、そんなことはとても受け入れることができなかった。
しかも、苦しさや痛みは感じていないはずだということだったので、じたばたさせてください、と断ってしまった。

さらに、このカフェを開店したとき、猫カフェがどのようなものなのかを知らない人たちがとんでもないことだ、と興奮して、営業を許可したウィーン市長宛ての抗議の手紙が新聞に公開されたり、私自身にも何通か脅迫状が届いたほどの騒ぎになっていたので、この病気は先天性で、猫も人間も主に若いうちに発症するのものだとしても、開店後1年半でこのカフェの猫が亡くなってしまうと、再びあのややこしい大論争が起こることは容易に想像できた。その意味でも、そう簡単にももを手放すわけにはいかなかった。
大慌てで他の医師や退職した癌の研究者、あわせて5人に相談するも、全員が「望みなし」という意見だった。

私は一人で戦う決意をした。


そのころカフェに来るお客さんたちがやけに「癌は手のひらパワーで治せる」とか「石光さんには病気を治す力がある」とか話しかけてきた。わらにもすがる気持ちというのはまさにこのことで、猫用のマイタケエキスを取り寄せ、ホメオパシーの獣医をみつけ、手のひらパワーで病気を治せるというレイキについてインターネットで情報を探し、何とかできないものかと必死だった。
頭頂にあると言われるクラウンチャクラをあけないとレイキの施術はあまり効果がないということを何人かが書いていたので、クラウンチャクラのあけかたというのもインターネットで探した。素人が勝手に試すと危ない、とも書いてあったけれど、そんなことで迷っている時間はなかったので、強行した。クラウンチャクラは半分くらいしか開かなかったような感覚だったが、その後1週間私自身が何も食べることができなくなってしまった。水以外のものを摂取するとすぐリバースしてしまう。体重は減ったが、体調は悪くなく、いつもとかわらず仕事ができたので、考えないようにしていたら、1週間後にまた以前の状態に戻った。

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