大きな経験3.11

夢を叶えた先生の卵、学生のまま研修を迎えた

この時の経験がわたしの教諭人生に大きな影響を与えるのだった。あの時、あの場所にいたから…。じゃなかったらとっくに先生を辞めていたかもしれない。こんなに熱量を持たなかったかもしれない。それくらいにあの時の出来事は忘れられない。


何度か"先生として"研修をすることで流れも覚えた。正直、研修生としてまだ気持ちの余裕があったしそこまで責任感を持たずにいた。その日もいつものように過ぎていった。


外遊びをしていた時だった。子どもが『目が痛い』と訴えてきた。『じゃあ、目を洗おうね』と園舎に入ろうとしたその時、聞いたこともない轟音と共に目の前が大きく揺れた。


"東日本大震災"


立てなくなった子ども2人を抱えて園庭に戻った。先生達が慌ただしく動く。無駄がなくてテキパキと。(先生ってすごい…)子ども達が不安にならないように、歌を歌って明るく振る舞っていた。それに合わせて真似て動くことしか出来なかった。

泣き出す子・全然怖くないと強がる子…その身体は震えていたし子どもたちの不安は計り知れない。

そして、"私の隣から離れなかった子"に私はただただ寄り添っていた。『大丈夫だよ』って。


園庭には雪が降り始めた。寒空の下、毛布を被り保護者の迎えを待った。その日は帰れなかった。数人の園児と職員と共に一夜を明かした。




しばらく休園となりまだ研修だから少しの間、再開するまで来なくていいよと言われた。私はまだ学生、卒業式を週末に控えていた。もちろん中止。


いつ戻れるのだろうか、この先大丈夫かな?と不安でいっぱいだった。震災が与えた見えない傷は私の中で大きくなった。そんな時に先輩から言われた言葉は、『この職場、きついから辞めるなら今だよ』『震災を理由に辞めたら?』


え…?言葉を失った。夢を叶えたはずだった、明るい未来のはずだった…けど先輩からの忠告をすんなりと受け止めてしまった。気持ちが揺らいだ。職場にも学校にも行けず毎日を1人で過ごし、先が見えない毎日に不安で辞めた方がいいのかと思うようになる。地元に帰った方がいいかな?夢のためにと動いてきた今までは震災によって奪われてしまうのかと毎日考えていた。すごく不安定でこの当時の気持ちは今になっても忘れられず、毎年涙が出てきてしまうほどのトラウマ。


結局私は辞めなかった。なりたかったんだ!先生に。そのためにここまで来たんだから。忠告は無視した。



そして私は1年目で担任をもつことになる。年長組さん。準備を急ピッチで進める。

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