東京「平将門の首塚」

今度はオカルトに振り切るサトコです。(笑)付いてこれる方だけ、来て下さい。無理に読んでとは、いつも思っていないので、安心して下さいね。
一晩寝て、背伸びより自分のキャラクターで行くにゃ、と脱力しました。くすす。なのでお読み下さる皆様も、気楽にお付き合い下さいね。

学研の雑誌「ムー」ネタです。ムーという雑誌は、ハマった世代もあるでしょうね。私は、不思議世界も好きだし、自分の知らない事象やらが記事にあったので、創作する上での脳のブレイクスルーのためにも読んでいた時期が長くありました。このところはずっと離れていたのですが。

noteで公式を見つけてしまった……。そうして。

平将門の首塚?

大きく出たなぁ……。記事は、途中までしか読んでないですが。あはは。
昨年11月頃から改修工事が始まっていたそうで、その頃から地震、コロナの第二波。これらは改修工事によって目覚めた将門の祟りなのでは……という推察記事のようです。そうして、改修工事は今年の四月に終了予定。ならば、第二波は、四月に収束なのか?

将門の首塚が、どのような存在なのか……、ということは以下の記事に譲ります。

ずっと若い頃は、こういう話が好きで。実際、パワースポット巡りで、都内を歩いたことがあります。早朝到着する高速バスで来て、社寺仏閣は24時間営業♪ と、夜が明ける前から、周りましたね。地下鉄の始発で。
東京大神宮も、増上寺も、愛宕神社も、弘法大師にも心引かれたので高野山 東京別院にも行きました。
なんていうか 東京別院、空気感が別格だった気がします。
一番足を運んだのは神田明神。平将門を祭神とした神社です。
でもね。将門の首塚は怖くて、何度上京しても行かずにいたのです。
何しろ、祟り伝説のある「闇の関東管領」関東の守護神ですえ?
失礼があったらば、どんな不遇がこちらに降りかかるか……。

だけど、なぜかある時、行こうと。
地図だけを頼りに、てくてくと向かったわけです。どこだろうなぁと、思いつつ。ちょっとびくびくしつつ。地下鉄の階段を昇り歩道に出ても、周りは高いビルばかり。うーーん? 道路を挟んだ反対側のほんのすこし先に、赤い昇り旗が立つ一角が。
て。…………。その場で、足が固まってしまいました。
う、動けない……。動きたくない。

その赤い昇りが三本ほど見える、そこだけ低い一角が。
ぽよよん、と。ゼリーのような何かに、真っ直ぐ上に上にとたっぷりと満たされている、ように、見えた、感じたのです。

ナニカアル。

軽い気持ちで行ってはならない場所やん……。

そりゃそうでしょ?  千年も以前に生き、激しく戦い、敗北し、怨霊として祀られ、長い時間、多くの祈り願いを背負ってきたんだよ。
その時間と念の重み、集積。

それらがゴリゴリと積み重ねられていて当然。

神田明神の空気は澄んでいました。ある一角だけ、風の通る場所があって、そこがいつも好きだった。神田は勝ち守りが有名で、勝負事には運気のあるお守りだそうで。

でも首塚は、違う。ごりごりとすり鉢で練ったような自然薯みたいな。
あの空間だけが、圧縮されているような。

と、私には感じられて。畏怖、を受けたのです。

しかし。ここで引いたら、それも失礼に当たらないか。と思った。
闇の関東管領ならば、そんなことはお見通しに違いない。
ならば。
と、歩を進めましたが。とっても、中には入れない……。

オカルト好きとはいえ、実体験があるわけではないミーハーです。
よもや、ほんとうにこんな事があるとは……、想定外。
でも、失礼はしたくない。
……当時、自分は、なにか行き詰っていたのかもしれません。何かに頼りたかったのかもしれません。何か必死でしたね。

すぐ近くで固まっていると。前掛けをした男の人、八百屋のおじさんみたいな下だけの前掛けの人があらわれて。さささっと中に入っていき、丁寧にお参りをして、またさっさと出て行ってしまいました。

ぽかん。……え? ……ええっ?

なんかさらっと、さらっとさらっっ……。
ヤバくないのっっ?

も、あまりの普通感に。また固まる。が。
よし。行く。ここまで来たら礼を尽くさねば。帰れぬ。

しかし。おずおずと。頭が真っ白で、手段通りに出来たかどうか。
記憶も無く。
でも。たっぷん、としていた。傍目には、透明な何かに満たされていたと思っていた敷地は、まったく普通でした。静かでした。

沢山のお花が捧げられて、きちんと掃除されていて。
塚の碑は、まったく怖くなかった。
怖いと思っていたのは、自分の心が「祟り」という誰かの言葉を恐れていただけ。
しばらく、碑の前に立って、上を見上げてみるけど、普通の空で。ビルに囲まれていて。

めっちゃ安心した。背筋伸びた。

ああやっぱり。関東の総守護、なのだ。

あれから、もう二度くらい出向きました。二度目、三度目も、最初の時のような、ぽややんとしたゼリーのような圧迫感は消えていました。
何かあったかい、おおきな懐に入ったような安心感しかありません。

「よく来たな」と。言われたようで。子犬みたいにうれしくなりました。

関東の守りだからこそ、あの先に示してくれたように、地元の方が、大切に守っているのだろうな。

千年間の守りも、ああいった普通の人の一つ一つの祈りの積み重ね。
祟りだ怨念だ予言だ、どうでもよくなってしまいます。
一つ一つ、名も無い者は積み重ねるのみです。
誰かの大きな守りの力を背中に、進むのみです。

学研ムー様には、今後も期待します(^^)v

ここまで、お読み頂き有難うございました。感謝致します。心の支えになります。亀以下の歩みですが、進みます。皆様に幸いが有りますように。