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今こそ、フィルムを

混沌とした雰囲気にのまれたような日々が続いている。

メディアから流れる危機感を煽るニュースや嘘か本当か分かりづらい情報、親切心から送られてくる怪しいトピック。

ありとあらゆる言葉に疲弊している。

未知のモノに出会うと、こんなにも世の中が乱れるのか、と痛感した。

どうなるか未来を知っている人はいないが、誰もが「普通」に生活できない状態。
仕事がなくなった人や解雇された人、経営が立ち行かない企業もある。

そんな中で、心の底から楽しんだり、笑ったりすることが悪いことのように思えてならない。
娯楽を失いつつある今、私たちは当たり前を当たり前に生きることが難しくなっている。

先日、久しぶりに星野源さんのオールナイトニッポンを聞いた。
彼もまた、今回の影響を受けてファンクラブイベントの中止の判断をした。

私もこのファンクラブイベントに行く参加者の一人だった。
日に日に報道の割合が多くなり、感染者が増えるに連れ、中止の文字が頭をよぎる。

ただ、参加できるにしても「安全なのか?」「もし罹患したら?」という不安や心配。
Twitter上では、泣く泣く参加を諦めたという声も挙がっていた。

話は逸れるが、星野源さんのライブはいつも自分の人生の転機と共にあった。

3年前の手術の前、1年前の転職の前。
誰にも言えない辛さや悲しさ、押し込めていた気持ちを抱いていた。

彼の歌やパフォーマンス、ファンへの心遣いに力をもらい、幾度も大変なときを乗り越えてきた。

今回もそんなタイミングだった。

心のどこかで、彼に会えば「救われる」、そんな存在になっていたのだと思う。

中止になったことで、これまでの数回とは異なる状況で彼に会う日が来るのだと、確信した。

ラジオでは、嘘偽りない彼の胸の内を聴けた。
ファンを想っているからこその苦渋の決断だったことは、皆きっと分かっている。

分かっているからこそ、彼がPop Viursツアーでかけてくれた言葉を何度も噛みしめ、合言葉のように使う。

ラジオから流れた『フィルム』は、ファンの声も、彼の声も代弁しているかのようにリンクして優しく響いた。
我慢していた想いがこぼれるかのように、目頭が熱くなった。

声を上げて 飛び上がるほどに嬉しい
そんな日々が これから起こるはずだろ

この歌詞に、私は希望を抱き、祈りにも似た気持ちを持っている。
現実になりますように、と。

次に会えるときが再び訪れるまで、今いる場所で私たちは生きていく。
そして彼も、面白いものを創り続ける。

日常が送れるようになったとき、また笑顔で会いましょう。

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