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29悟後

悟後の修行

悟りの後の選択

 

 

解説要約)

悟後(ごご)の修行は

必須ではない

とするは自利の視点

 

悟後の修行は

必須である

とするは利他の視点

 

解説)

白隠禅師は

永遠の「悟後の修行」を

勧めたとある

大乗仏教における

菩提心、利他行を選択すれば

悟後の修行は必須となる

 

利他行を選択しなければ

悟後の修行は

必須ではない

 

この選択構図は

お釈迦様への

梵天勧請に対応する

 

利他行は選択自由の問題であり

必須ではない

 

どちらの立場に立つかによって

悟後の修行の意味が

異なっている

 

 

悟後の修行は

選択自由の内にある

もし自利のみで

悟りの境地をただ一人(いちにん)として納得し、

楽しむのであれば、

悟りの後になんの規定もない。

 

だが選択自由として利他をとるなら、

悟りの境地を

他者(たしゃ)に伝えなければならない

つまりこれがお釈迦さまの

直面した梵天勧請というものだ

 

悟りなどの真理は

そのものを直(じか)に指(さ)し示す事ができない

ただ真理という”月“を指し示す

指(ゆび)のような

言葉や図絵などの間接的な手段によって

示すしかない

 

お釈迦様のとった対機説法の

意味がここにある

 

他人(ひと)に合った

言葉や図絵によって

悟りの内実を語るためには

多くの”言葉“がいる

ここに多様なる

他人(ひと)に合った

言葉や図絵の多様性が

利他の手段(方便)として必須の事となる

 

いわゆるテクニカルタームを

いくら並べても

普通一般には理解不能である

悟りの内実を指し示す

多様な手段を身につけるための

悟後の修行とは

利他行のための方便である

 

自利の坐が

利他の坐となるためには

説法なり行為が必須である

これが現実だ

本当にただ坐るだけでは

直接的な抜苦与楽としての

利他はあり得ない

頭の中で考えただけの

いわゆる机上の空論と

なるだけのことである

 

現実世界において

利他を選択するならどうなるか

多様な人々に悟りの内実を伝え

実感してもらえるような道筋を示し

直接的な行為により

抜苦与楽としての利他を行うためには

多様な”言葉“がいる

多様な一人ひとりの

他人(ひと)にあった”言葉“があってこそ

悟りの内実を指し示すことができる

 

この多様性という引き出しを

より多く作っていくために必要なことが

悟後の修行というものの本質である

 

すなわち、悟後の修行とは

利他を動機とする

 この利他という同一性を基とする

坐となって初めて

坐は利他の坐

すなわち利他禅となる

 

ここまでくれば、

あと行うべきことは

坐から立ち

街へ出ることとなる

そして悟後の修行は

続く

 

 

誤りがあれば

ご教授ください

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