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「人間らしさ。」

話したいと思った感情をそのまま言葉にすると、「素敵な言葉遣いだね。」と、褒められることが多々ある。

その中でも異性の方からは「素敵な言葉遣いだね。世の女性も見習って欲しい。」などと伝えられる時がある。

嬉しく無い。それは褒めると言うより、貶している。わたし個人に対して、褒めようと思って出た相手のその言葉に、心底嫌気がさす。

なぜ、「女性」限定なのか。

美しい言葉をつかう人間は、女性でなければならないのか。わたしがもし、女性ではなく、男性だったら、こんなことは言われなかっただろうし、こんなことを考えずに生きていたかもしれない。

生きにくさは、無意識下の卑下で出来ている。

わたしは高校一年生の頃から接客業でアルバイトをしている。スーパーのレジ打ち、個室焼肉のホール、大型プールの売店スタッフ、プールの監視員、唐揚げ屋さんのホール。
常に人から見える場所で働き、実際に、接客するという業務を好んでいた。

接客業を続けてきたわたしは、世に言う、クレームも幾度となく経験してきた。

年配の男性客に、「ジョッキを置くときの音が大きい。失礼だと思わないのか。全く躾がなっとらん店だ。」と、かれこれ10分間、怒鳴られたこともある。

30代くらいの男性客に、「声が小さくて何を言っているのか分からない。お前たちは金をもらって働いてるんだろう、店員ならお客様を満足させる態度で働け。」と、店頭で2人の男性に囲まれながら怒鳴られたこともあった。


焼肉屋でアルバイトをしていた頃の話。

個室のドアを開け、料理を手に、接客を行う。

「お姉ちゃん、可愛い顔してるね。今何歳?へぇ、高校生か。いいねぇ若い子は。」

『ありがとうございます。食後のコーヒーはどうされますか?』

「アイスで。砂糖はいらない、ミルクはお姉ちゃんの乳を出してもらおうかなぁ。」

顔が引き攣ってうまく笑えなかった。
何と返事してその言葉をかわしたのかも覚えてないけど、酷い嫌悪感と恐怖が身体の中を駆け巡り、その日は昼から夜まで、ずっと嫌な気分で働いていた。

日曜の昼間に、こんなことを言われるために働いている訳じゃない。こんな会話も、態度も、接客業だから、なんて理由で片付けられていいものではない。

店長はパワハラが酷い、ベテランの男性だった。仕事は誰よりも的確に素早くこなし、数々の常連客を相手にし、お得意様へのサービス精神も怠らない。故に、誰も店長を咎めない。

そんな店で働いて、客室が個室なのをいいことに、店員にセクハラをしてくる客は少なくなかった。というより、ほぼ毎日と言っていいほど、異性の客から気持ち悪くなる言葉や態度を受けていた。

接客業を続けていて学んだことは、いくつかある。
そのうちのひとつは、
『身長の低い、気の弱そうな女性が店員の場合、男性客は強気になったり、セクハラ発言をまるで挨拶かのように投げてくる。店員が男性の場合、些細なクレームや理不尽な暴言はあまり吐かれない。』

女性だけが辛い、と言いたい訳ではない。
もちろん、男性にも私たち女性には想像もできない苦労や生きにくさがあることも分かっている。 

ただ、男性に生まれてたら、些細な日常に常日頃付き纏う生きにくさは、格段に減っていたんだろうな、とは感じる。


わたしたちも、人間だ。
人間らしく生きている。



ただ、それだけのことなのに、何故こんなにも言葉に表せないような苦しさが蔓延っているのだろう。
大抵の女性は、反抗することを諦めている場合もある。

この違和感は、経験したことのない男性側には大抵、通じない。ただ煩く喚いている迷惑な女だと思われて終わり。そう感じることにも慣れた。

それでも、やっぱり苦しいと叫ぶわたしがいるなら、その声を、言葉を、発信していかなければならない。

経験せずとも、理解や知識を身につけて欲しい。
そして、少しでも女性たちの日々の生活を、『人間らしく』送れるようにしたい。

わたしは、女性に生まれて良かったと思っているし、女性であることに恥ずかしさなどは感じていない。だからこそ、誇るべきである自分という人間が、女性という枠組みで貶され続けるのは心底許せない。


同じ種族の人間として、すべての人間が対等に扱われるべき存在であることを、男女の性別に関係なく個々の心臓で理解できる。そんな世界がくる日を待ち望んでいる。


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