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動かないと、変わらない 〜声をあげないと、誰も気づいてくれないよ〜

身近な問題

DVやモラハラは、本当に身近な問題だと思っています。

生まれも育ちも違う人間が一つ屋根の下に暮らすのはそれだけで些細でも衝突は起きます。
親でも兄弟姉妹でも違う人間ですから。

衝突が起きたときに、建設的に話し合えるのが一番ですが、現実は理想通りにならないことが多いもの。

そんなことはあえて私がここで書かなくても、周知の事実だと思います。

DVやモラハラは、そういった衝突が起きたときに、片側が力でもって相手を捩じ伏せて、自分の我を通そうとするもの。

付き合っている最初のうちや結婚してしばらくはわからなかったけど、ある時から突然暴言を言われたり、間接的もしくは直接的に暴力的な行動が出るようになった、というのはよくある話です。

最初は、暴力的な行動にびっくりしたり、
「私何かマズイことしたかな、、」
自分の言動の振り返りをしたりします。

「そういう言い方は傷つくよ」
直接伝えるかもしれません。

でも相手の言動は変わらない、もしくはエスカレートしてしまったら?
すでに婚姻関係にあったり子供をもうけていたら、簡単に別れるとはなりません。

そうでなくとも、相手を好きな気持ちがあったり、一人になる寂しさの方が大きく思えていたり、相手と付き合えるのは自分しかいないと思い込んでしまっていたら。

やっぱりすぐに別れる決断には結びつきません

私は小学生の子どもがおりますので、子どもの繋がりのママたちと出会うことが多いです。
上と下に兄弟姉妹がいると、上は社会人、下は生まれたばかりのお子さんをもつ方も。

結婚生活を10年も20年も送っていると、惰性で暮らしている人も多い印象です。
相手に男性としてのトキメキがないというのは、生物として長年連れ添っていると当然のことなので、それは仕方ないねという程度の話です。

問題は、自分でも家庭内にDVが存在していると気づいているのに現状を維持しようとしている方。

もしくは、子どもにも問題行動がみえているのに、
「あと数年経ってこの子が大人になったら、、、」
と、臭い物には蓋をして、家庭で起こっていることを見て見ぬように努める方。

相談されたら相談に乗る。
聞かれたら答える。
でも、最後の最後にどういう選択を選ぶかはその人次第

そこは、私や他人が立ち入ってはいけない領域だと自負しています。

これまで何人も相談に乗ったことがあります。
一番心が苦しくなるのは子どもの話。

「子どもにもよくないってわかってるけど、でもどうしようもないから。」

保険でも税金でも、自分で情報を取りに行かないと日本では教育課程で教えてもらえない大事なことがたくさんあります。

法律関係のことや、こういったデリケートな問題の行政の介入やサポートも、知っていれば助けられる人も多いけど、知らない人が多い。

でも、知っても動けない人も多いです。

それは、変化を起こすより現状維持の方が天秤にかけたら楽に思えるから、という理由も実際のところなのではないかと思います。

こんな思い込み、ありませんか?

あとは、
「最後には正義が勝つ」
という、性善説的な考えも、日本人のDNAの根底にあるんじゃないかと。

昔の少女漫画には
白馬の王子様がきてくれる」
ような設定が多かったような気がします。

”待ち”の姿勢で、選ばれるのを待つ。
待っていれば、きっと誰かが来てくれる。
と信じている人も実は少なくないはず。

でも、大抵来ません。
ほぼ、来ません。

本当に白馬の王子様に出会いたければ、自分から動くか普通の馬の人を白馬の王子レベルまで育てる方が早いかもしれません。

私は”りぼん”とか”なかよし”読んでいたので、今でも思い出すとキュンキュンするんですが、世界観を楽しむ嗜好品としてはよくても、こういう思考は他力本願になりやすいです。

わかっているけどわかっていないこと。
「世の中の不平等さ」


「暴力を受けている私は可哀想。
お天道様はみてる。
きっと私は助けられて、相手には天罰がくだる日がくるだろう。」

そうなるかもしれません。

でも、DVをしていてものうのうと暮らしている人はゴマンといます。
何も悪いことしていないのに、交通事故でなくなる幼い子どももいます。

世の中全然、平等じゃなーい!

心にお天道様を照らして生きるのはとてもいいことだと思いますが、
「あの人はずるい」とか
「こんなにがんばってるのに」
って思って何か念じても、念じるだけじゃ何もかわらないのが現実

人との触れ合いを拒否するという意味じゃなく、結局いちばん頼れるのは自分、と思えると、他力思考から抜け出せるのではないかと思います。

結局みんな自分の生活に一生懸命ですからね。
自分と家族と仕事だけでも精一杯。

「あの家ちょっと気になるけど、、気のせいかな?」
程度なら、やり過ごすことがほとんどでしょう。

助けを求められたら自分の許容できる範囲で助けてくれるでしょうが、声なき声に日々耳を傾けている人はそうそういません。

ちょっとでいいから。
動けそうなら動いてほしい


ここまでつらつら書き連ねて、つまり何が言いたいか?

「本当に状況を変えたかったら、変えられるのは自分だけ」

助けてくれる機関はいっぱいあります。
一度勇気を出して役所に連絡すれば、色々教えてくれます。

でも、状況を伝えたり、もらったアドバイスを受けてどう動くか、決めるのは自分です

誰も代わりに答えを出してくれません。

誰か察してくれないか。
気づいて助けてほしい
この状況を見たら、絶対夫が悪いってみんな思うはず!

でも、心の中でいくら叫んでいても、無意味なんです。

私は家庭というブラックボックスの中で、何度も声にならない叫びを心の中で叫んでいました。
でも、誰も気づかない。
外に出ると、何でもない顔している自分がいる。

「変えたいけど、自分は動けない。
 誰かが変えてくれたら、、

私は最終的に動きましたが、何年もくすぶっていた頃の自分の希望です。
その時の自分や同じように思っている方に、こう伝えたいです。

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心の中で願ってても、誰も助けになんて来てくれないよ。

そこから逃げたかったら、
行きたい場所があったら、
誰かに探してもらうんじゃなくて、自分で動かないと何も変わらないよ

でも大丈夫だよ。『助けて』って言ったら、ちゃんと助けてもらえるから!

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小さな一歩を踏み出せるひとが、ひとりでも増えますように☆

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