【小説】あかねいろー第2部ー 42)勝負の夏ー花火大会②ー
17時少し前に笠原と小道たちの相手が到着して先に部室を出る。僕らは17時10分くらいに西門で沙織たち3人と落ち合う。立川が、彼の友達と沙織に挨拶をし、僕を紹介する。
「久しぶり」
僕は沙織に言う。その何気ない一言が、残りの女子二人に驚きを与える。
「え、沙織と、吉田くんは知り合いなの?」
「まあ、ちょっと、昔」
「何それ。なんで言わないのよ」
メガネをかけた小ぶりな、明らかに気風のいい彼女が沙織に肘うちをする。
「吉田くんは、ラグビー部?」
「そう、だけど・・」
その答えはまた、沙織以外の2名に謎かけを投げかけることになる。彼女たち二人は僕と沙織を交互に見ながら、頭の中をぐるぐるとさせる。
「まあ、いいじゃん。色々あるわけで。とりあえず、お祭りの方にいこう」
立川がもう一人の男子と先陣を切る。それに、女子二人がつき、自然と僕と沙織が後ろから追いかける形になる。
夏至から1ヶ月。30度超える夕暮れには、蝉の声もしない。その代わりに、雑踏と人間の賑やかな声が、蒸し暑い宵の口をさらに暑苦しいものにしていく。でも、そこには、たくさんの期待や希望や歓喜があるように感じられて、濃厚な空気感を作り出す。お腹が空く。喉が渇く。生きている感覚が強まる。
「坊主頭、悪くないじゃない」
「まさか。ジャガイモみたいだろ」
「ふふふ。ジャガイモって。まあ、でこぼこだけど、思ったより似合わないわけじゃないわよ。さすが元野球部」
「洗うのは楽だよ。シャンプーだけでいいし、1分もあればいい」
沙織がくくっと少し笑う。その笑い方は懐かしい。
「迷惑じゃなかった、僕が来るって聞いて」
「なんで?どうして、私が、あなたのことを迷惑に思うなんていうの?」
小さな棘のある言葉も相変わらずだ。
「まあ、普通でしょ。昔別れた男と、もう一度会いたいと思っているなんて、僕にはあまり思えない」
「でも、じゃあ、どうして、立川くんにこんなことしようなんていったの?」
「それは・・・」
核心をつく遠慮のない追求に言葉に詰まる。
「吉田ー、あっちの射的いこうと思うけど、どう?」
前から立川が振り向いてくる。
「射的?うん、いいよ」
僕は同意を求めるように沙織をみる。
2年前は、もっとふっくらとした頬をしていた印象がある。しかし、年齢的なものなのか、あるいはメンタル的なものなのか、僕にはよくわからないけれど、顔つきは随分とスッキリとした感じがある。背丈の印象はほとんど変わらないけれど、全体として、スポーティーな印象はだいぶ後退して、大人びた印象がある。
そして、女子3人も、申し合わせているのだろう、全員浴衣を着てきていた。沙織は淡いブルーで、花柄のあしらったシックな浴衣で、他の二人はピンク系の女子らしい華やかな浴衣だった。
「私は大丈夫」
的に沙織は首を少し傾ける。
「私って、キツイのかしら」
横幅が17mを超えると言われる大きな鳥居をくぐったあたりで、人が溢れかえり、少し体が近づく。
「キツイ?」
「そう。さっきみたいな物言いって、何か問い詰めてしまっているように感じるのかな。やっぱり」
首を傾げる。
「そう?あんまりそんなふうに思ったことはないけど」
「本当に?」
「まあ」
「じゃあ、さっきはどう?キツイなって、おもわなかった?」
「どの辺が?」
僕はよくわからずに聞き返す。
「うーん、どの辺って言うと、どうだろう、よくわからない」
沙織は下を向く。
「キツイかどうかは、沙織の問題じゃなくて、相手の問題なんじゃない。少なくとも僕は、そんなふうに思ったことはないな。もしかしたら、そう感じているのかもしれないけれど、僕には、気になるほどのことではないな」
「吉田くんって、前から思うけど、ちょっと変よね」
「そんなことないだろ」
「いやいや、結構変よ」
そんなに言われると、僕もちょっと言い返したくなる。
「people are strange when you are strange 」
突然の英語にびっくりするが、一橋を目指す高3生だ。すぐに理解をする。
「誰だっけ、それ」
「村上春樹」
「そうそう。羊をめぐる冒険」
「いや、ノルウエイの森」
射的を待つ間、少し僕たちは打ち解ける。
彼女は僕のことをたくさん聞いてきた。ただ、僕の中で答えることのできるものは、ラグビーしかなかった。特に、進路についての僕の無策はは彼女にとっては信じられないようで
「そんなことでどうするの!?しっかりしなさいよ。頭いいんだから。ちゃんと進路考えないと。ラグビーだけじゃダメだって」
と語気を強めて叱られた。
「確かに、キツイ・・・」
僕はボソリという。彼女は小さく笑う。
射的では、僕が500円払って3回撃ち、残りの2回を沙織が撃った。見事に二人とも全て外れた。横では、立川が2回も何かを当てていた。
何か食べようと言うことになり、小道から教えてもらった焼きそば屋を探す。何個か焼きそば屋さんは出ているのだけど、1箇所だけ明らかにクオリティの違う屋台があって、それがとても美味しいと言うことだった。境内の中心から右に折れた参道のはじの方にそれらしい屋台があり、随分と並んでいるけれど、そこに並ぶことにした。花火まではまだ1時間以上ある。
「星野とは、どうなったの?」
これをどこで切り出そうか、出すまいか。前の晩から随分考えてきた。でも、いざ聞いてみたのは、そういうシミュレーションとは全然違う場面だった。どう言うわけか、焼きそばに並び始めたその途端に、ふと口から出た。
流石に、沙織も少し困ったような顔をする。10秒もないだろうけれど、随分長い時間が過ぎたように感じた。
「いいんだ別に。特に知りたいわけでもない」
「長い話なの。それに、面白い話でもない。せっかくこんないい日なのに、つまらない話をあなたにしたくない」
「いいさ、話したいことだけ話せば。僕なんか、どうせラグビーのことしか話せないんだから」
沙織は、それについて少し思いを巡らす。遠くで音物の花火が鳴る。花火大会が近い。
「私の両親、去年の暮れに離婚したの」
もう一度、今度は三段雷が鳴り響く。
「去年の初めくらいから、そう、吉田くんと別れたあたりから、私の家はかなり荒れていて。ありがちな話だけど、父親の帰りがいつも遅くて、出張とかでいない日も増えて、よくよく母が調べてみたら、各地で浮気をしている痕跡があるらしくて。それで、かなり揉めていた。父親の方は父親の方で、母が不倫をしていることを知っていると言うようなことを叫び出して、家の中で大声を出し合うようなことも増えてきたの」
「あの頃、私は初めての体験で結構参ってしまって、あまり人に会いたくなくて。それで、あなたとも疎遠になってしまった」
僕は、その頃のことを思い出す。僕は、何も知らずに、沙織よりもラグビーを選んだような気になっていた。
「でも、時間が経っても家の様子は良くならなくて。随分とメンタル的にも参ってしまって。家に帰って、家の中が常に休戦状態の戦場のような雰囲気って、結構辛いわよ。どんなに疲れて帰っても、心が休まる瞬間がまるでなくて」
「そんなとき、秋、吉田くんとも会った後よね、星野くんと何かで会って、私としては、誰かにもたれたい気持ちがあって、それで」
「彼って、男っぷりはいいじゃない。優しいし」
そんなことはない、と言いたいところだが、口はつぐむ。
「彼と付き合うことで結構救われたわ。彼がラグビー部だと言うのは初めからわかっていたけれど、それ自体はそんなに私の中では気になることはなかったけれど、いつかな、彼と吉田くんが同じ中学の同じ野球部だって聞いてからは、ちょっと気まずい気持ちはあったわ」
「でも、それはしょうがないわよね。狙ってそんなことしているわけじゃないし」
焼きそばまではまだ遠い。空腹を感じる。アドレナリンが結構出ている。
「まあ、普通に付き合っていたわよ。特別なことはなかったし、特別な関係ではあったけれど」
「ただ、私の家の事情は、秋の終わりには決定的に傾き出していったの。父親は家を出ていって、別居状態になり、母親も、やっぱり不倫相手がいて、彼女も結構帰ってこない日があって。私と弟だけで家でご飯を食べているなんて言う日もたくさんあった」
「そう言うときは、なんか、弟に悪いなと言う気持ちがあって、頑張って料理を作るの。部活休んで、早く帰って、クックパッド見ながら買い物して、クックパッド見ながら料理して。結構うまくいくのよ。弟は、母親の料理より断然私の料理の方が好きって言ってくれる」
「でも、当然、そう言うのは疲れるわよ。部活も休みがちになって、大会の選手からも外れるし、星野くんともなかなか会うことができなくなって、その事情とかも説明してあげられなくて、彼はぷりぷりと怒っちゃうし。まあ、しょうがないわよね、逆だったら私なんか一瞬で別れるわね」
「結局そんなこんなで、今年の初めに両親は離婚したわ。私たち、私と弟と母親は、新しい住居に引っ越すことになって、そのあたりで星野くんとはおじゃんになったわ。正直、私も、彼のことより、弟と、自分の新しい環境の方が大事だった」
「母親からは、”大学は私立は難しい。国立にしてほしい”といわれたわ。それと、母はフルタイムで働くから、弟の面倒をある程度見ないといけないと思って、これは自分から、部活を辞めることにして。そうして、予備校に1クラスだけ在籍させてもらって、自習室をフルにつかいならが、あとはできる限りしっかり家に帰って、弟の面倒を見ながら、ぼちぼち勉強をしているの」
「母親は、週に2、3回帰ってこない日があるの。仕事だって言うけれど、多分違う」
「まあそんなところよ。そうして、3年生になり、退屈な日々が過ぎ、今日に至る、と言うわけね」
沙織はそこまで喋り倒すと、大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。
「あー、スッキリした」
「初めてよ、こんなにしっかり他の人に話したの。ユリたちにも話していないから、ここまでは」
「言葉にしてみると、なんともまあ、つまらない、売れない小説のようようね。まったく」