見出し画像

2020年のはじまりに思うこと

一時帰国が終わった。そしてまた新しい年がやってきた。

ずっと楽しみにしてきたひとつの節目。
まずは一時帰国まで、そう思いながら過ごした1年目。


雨季のじめっとした空気の匂い、赤茶色の土地とメイズ畑、至るところでクラクション音がなる渋滞する道路。アフリカに戻ってきたことを五感で感じる。

1年ぶりに帰った日本は居心地が良くて快適で自分が日本人だということ、ここで育ってきたことを実感させた。"冷徹で、過度に丁寧で、周囲に無関心で、そんな日本がいやだった。"一時帰国を経た先輩はそんなことを言っていた。でも私はなんの違和感を感じることなくあっという間に日本の生活に溶け込んでいた。放っておいてくれることが楽だったし、丁寧なサービスは快適だった。

一時帰国の間はザンビアのことは忘れて日本を存分に楽しもう、そう思っていたのに実際そうはいかなかった。ふとした瞬間にザンビアのことを話題に出すのは不思議といつも自分からだった。まだまだ好きにはなれないけれど1年前にはじめて訪れたこの国のことがいつの間にか思考の中心になっていたことに気付かされる日々だった。


1年は振り返ってしまえばあっという間で、友だちも家族も恋人も変わらず私を迎え入れてくれた。でも2019年は26年間で一番泣いてもがいて戦った長い1年間だった。自分がいかに弱くて無力な存在か、いままでどれだけ周りのひとに助けられながら暮らしてきたか、自分にとって何が必要なのか何が大切なのか、そんなことばかり考えて暮らした1年間だった。

ザンビアでの生活は楽しい。日本で暮らしているだけではできない経験、見られない景色、出会いや学びが無数にある。ここで暮らすことの価値は確信している。それでも自分の弱さや孤独、無力感、現実の厳しさ、人々の苦しみ、それらを突きつけられる毎日は苦しくて、ひとりで抱えるには重たすぎて、もうなにかを成し遂げることやなにかを変えることは無理だと無駄だと諦めかけていた。ただ朝起きて職場に行ってマンパワーとして働き日が暮れたらひとり時が経つのをひたすら待つ。それを繰り返しているだけでも1週間、1ヶ月、1年と時は経つ。ひとりで孤独と戦いながらザンビアで暮らしているんだからもうそれでもいいんじゃないか、そんな風に逃げ腰になっていた。ずっと心の支えにしてきた節目の一時帰国が終わってしまったら、なにを目標になにを理由にここに帰ってきたらいいんだろう、そんなことを考えながらザンビアを発った。



一時帰国では家族、友だち、恋人と楽しい時間を過ごした。毎日だれかと一緒に食事をして、考えや思いを共有して、美味しい楽しいうれしい悲しい美しいそんな感想を共にできるだれかがいる、そんな幸せを噛み締める日々だった。大切なだれかと過ごす毎日が最高に幸せだった。1年も経てば生活の不便さには慣れるけれど、いつでも友だちや家族に会える生活はいつまでたっても恋しく感じた。
ザンビアに帰ってから待ち受ける孤独と生活の過酷さを知っているから1年前よりも日本を離れるのが辛かった。憂鬱で堪らなかった。
自分で選んだことだから、自分が望んできめたことだから、楽しまなきゃいけない頑張らなきゃいけない、そんなことは分かっていたけれどすっかり日本で甘やかされた私は弱かった。

「2年間俺を待たせて好きなことをしにいくんだから楽しんできてよ。」
空港まで見送りに来てくれた最愛のひとからの冷酷さと愛情が混在することば。別れ際のこのことばを何度も反芻しながら飛行機のなかで人目も憚らずしばらく泣いた。日本を離れるのは苦しかったけれどこうして背中を押してくれる大切なひとに成長した姿で再会しなければいけない、そう思った。



大学の友だちや元職場の同期は看護師として5年目を迎えようとしていた。新たな役割を担ったり部署移動したり次の挑戦をはじめていた。

一番私を可愛がってくれた尊敬するおじいちゃんは入院して年明けから化学療法がはじまることになった。ザンビアに戻る前、両親おばあちゃんと一緒におじいちゃんのお見舞いに行った。帰り際、おばあちゃんが「ミナが来てくれてよかったな~」と言った。何度も思い出しては必死に涙を堪えている。高齢で入院中のおじいちゃんにはこれからどんなことが起きるか正直予測はできない。ついこの間まで元気だった患者さんが急に深刻な状態になる場面を看護師として何度も見てきた。たった2年と少しだけど臨床で看護師として働いた経験がある私は、ここにいれば家族の力になれるしいま一番私を必要としてくれているのはザンビアの人々ではなくて大切な家族であることは間違いなかった。それでもおじいちゃんも周りの家族も私を引き留めるようなことは一度も言わなかった。また1年後といって送り出してくれた。



日本には私を必要としてくれる家族がいて、いつでも迎え入れてくれる友だちがいて、帰りを待ってくれている恋人がいる。それでも私はザンビアに帰ってきた。

健康でチャンスがあって周りの理解があって帰ってくる場所がある。そんな最高な環境に置かれていることを改めて実感した日本での日々。それなのにこのままじゃなにも語れるものなく2年間が終わってしまう。ザンビアで2年間を過ごす意味とか意義とか、自分の存在価値とかそんなこと考えても答えはでないし、きっと答えが分かるのは2年間をやりきったあとだから、考えるのはやめて走り続けなければいけない。

あと1年、好きにやってみよう!そんな風に開き直ってみたかと思えば、どうせ私がいなくなったらなにもかも消えてなくなってしまうのに何のために頑張ればいいんだろう。とやる気を失ってみたり。あがったり下がったりする自分の気持ちをどこかで俯瞰しながらこれから1年、どう過ごしていくべきか考える。

任地の人々にとっての自分の存在意義や、あと1年で任地に残していけるものは何かとか、そんなことを考えても答えはでないしそもそもきっとそんなものなにもないんだと思う。だから残りの1年で自分がどんな経験をしたいか、どんなことを知りたいか、どんな力を身につけて日本に帰りたいか、それ次第でこの1年の過ごし方を見据えていこうと思う。身勝手にも思えるけれど未熟で無力な私がここで過ごす意味を見出していくにはそうするしかない気がしている。

任期が終われば、また新なスタートを切ることになる。どこで、なんのために、なにをするのか。そのために今ここでできることはなにか。

泣いても笑ってもあと1年。めげずに逃げずに諦めずにがんばろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?