ちゅうぴー

ちゅうていとのりぴーのママ。のりぴーの育休中。甲状腺乳頭癌になった。

ちゅうぴー

ちゅうていとのりぴーのママ。のりぴーの育休中。甲状腺乳頭癌になった。

最近の記事

近況

3人目を妊娠しました。 予定日は5月12日。癌の手術をしてからちょうど1年後に子供を産むことになるとは。笑 今回の妊娠はつわりが全然なくてあっという間に安定期を迎えた感じです。 3人育児か。。。今から震えます。

    • 最近のこと

      退院時の血液検査で、なにかの数値が足りないとかで毎朝薬を1錠飲んでいる。 その薬を飲むというミッションをなかなかの頻度で忘れてしまう。ほぼ毎日「あ!くすりくすり」と言ってる。その「くすりくすり!」が今日言ったのか昨日言ったのか分からなくなって薬飲んだか飲んでないかパニックになる。 はじめから2ヶ月分の薬の数を管理すればいいのだろうけど、ズボラな私にはそんなの無理中の無理。なにか飲み忘れ防止の策を練らないと、この文章を書きながらも今日飲んだか少し不安になっている。これが一生

      • 普通の生活が1番の贅沢

        コロナ禍で誰も面会に来ない入院生活が終わった。 出産での入院はのりぴも一緒だったから、ほんとに1人で過ごすのはちゅうていが産まれてから初めてだった。久しぶりのお一人様。朝からご飯が用意され、夜寝るまで携帯、テレビ見放題。お風呂も1人でゆっくり入れる。傷はいたんだけど、穏やかに入院生活を送ることができた。 それはコロナ禍だったかもしれない。でも、自分だけの為に時間を使った貴重な時間だった。 ただ、子供たちに会えないのは本当に寂しくて、会いたくてしかたなかった。家のことに非

        • 生きてる

          手術のあと、1日ICUで過ごし、昨日の昼から病室に帰ってきた。 手術前に久しぶりに旦那と話した。特に身のある話はしなかったけど普通に笑いながらはなした。楽しかった。笑 それから準備してドラマでよく見る手術室に運ばれるシーン。少し泣きそうになった。 手術室で麻酔をされた。あっと思ったら意識がなくて気づいたらめっちゃ名前を呼ばれていた。 目覚めたら首がチクチク痛んでまだ眠かった。まだ眠いなーて思っていたら旦那が入ってきた。話した内容は覚えていない。 しばらく眠った。

          手術

          一昨日は不安と緊張と子供と離れる悲しさで眠れなかった。 昨日はなんだか吹っ切れて9時半から爆睡。がんばる!!! ちゅうていが朝LINE電話で「がんばれ」って言ってくれた。沁みるーーー泣

          断乳

          のりぴーは本当に手がかからくて、おっぱいがなくても自然に寝てくれるし、夜中に起きる事はほぼないし、起きたとしても泣かないで機嫌良く笑っていたりする。 ちゅうていは常に機嫌が悪くて1時間もするとおっぱいを欲しがっていた。こっちが眠くて眠くて、疲れがとれなくて鳴き声が大きくて昼間アパートに2人でいるのが苦痛だったし大変だった記憶がある。(若干産後うつだったのかな??)そもそも母乳だけじゃ足りてなかったのかもしれない。今ならそう思えるけどその頃の私はおっぱい神話に支配されていた。

          もうすぐ

          あと1週間ちょっとで入院だ。 なんだかソワソワしている。そんなこんなで旦那は3月から青年会議所を休会した。私をサポートするためらしい。笑 が、全然サポートされてる感はない。帰宅時間が早くなって青年会議所のでごとが無くなったので私が実感できる旦那の変化は「ピリピリしてなくて余裕があるなー。性格良くなったやん!!」て感じだ。青年会議所にバリバリ行っていた時は無駄に気をつかっていたのでそれがなくなってこちらもストレスが1個減った。 のりぴーは私の入院の間一時保育を利用する。も

          今年は前厄

          2021年になってまだ3ヶ月。 すでに厄年の影響を受けている私。2月に甲状腺乳頭癌といわれ、5月に手術。 仕事は6月に復帰予定だったが10月に変更することになった。(家で子育てするより働いていたいタイプ) 家を新築するため旦那の実家で同居。←これは別に厄じゃないけど、手術のあとゆっくりする場所がないなーと。。。 そしてついこの間保健所からコロナの濃厚接触者という通知がきて、PCR検査を受けた。私は田舎にすんでいる。 もう濃厚接触者ってだけで一大事だ。子供2人ももれな

          プチ同居についてNo.3

          のりぴーが産まれて、案の定アパートはカオスだった。 ちゅうていがのりぴーを踏みそうでのりぴーはバウンサー。それでも勢いのあるちゅうていは妹の存在がうれしくてのりぴーにつきまとっていた。 お風呂も狭いし一苦労。 寝室で4人寝ることができず(のりぴーと旦那に気を使う)私とのりぴーはリビングで眠った。アパートは寒くてほんとに大変な状態だった。 さすがに旦那が動いた。 「家をたてよう」一度動き出した旦那はもう止まらない。近くの土地を押さえた。小さいかな?と思ってスルーしてい

          プチ同居についてNo.3

          プチ同居についてNo.2

          2人でも狭かったアパート。 ちゅうていが産まれたらもっと狭く感じた。ちゅうていの物が増えると1部屋は衣装部屋のような使い方になった。1部屋は寝室。 狭いリビングはおもちゃで溢れかえった。ちゅうていがつかまり立ちしはじめた時、常設のテーブルをやめた。狭すぎて。 ご飯の時以外はしまえるテーブルは小さくてとてもご飯が食べにくかった。 狭い狭いといいながらのりぴーを妊娠するまでは私はなにも言い出さなかった。 2020年3月の終わり妊娠が分かった。すぐにアパートが狭いと訴えた

          プチ同居についてNo.2

          プチ同居についてNo.1

          結婚してどこに住むか。これってとても重要だ。うちの旦那は多分結婚願望はなかった。「結婚しようと思ってる」と自分の友達に話したり、「結婚するならちゅうぴーしかいない」とは言われてたけど、そんな結婚したそうではなかった。 私はとっても旦那が大好きだった。嫌なとこなんて何もない、嫌なとこがあったとしてもそれすら好きって堂々と言えるくらいどこを切り取っても好きだった。痛い。痛すぎる。 お金がなくて結婚できないって言うんなら同居でもしていい!!って本気で思った。 結局ちゅうていが

          プチ同居についてNo.1

          3月1日

          4回目の結婚記念日を迎えた。 1年目は京都へ家族旅行。2年目は水族館。3年目は近場の回らないお寿司。 今年はのりぴーは小さいし、引っ越しやら、掃除やら、病院に行ったりで私も前日に思い出した。きっと旦那も忘れているだろうと思って、急いでTimeTreeに「結婚記念日」と登録した。通知がきて旦那も見るに違いない。ケーキくらい買ってくるのではないか。 うちの旦那はそんなできたやつではなかった。普通に帰ってきてサプライズなどをする素振りは全くなかった。だから教えてあげた。「今日

          手術日決定

          2月27日、朝一で紹介状を持って県外の病院を受診した。 水曜しか休みのない旦那が珍しく一緒についてきてくれた。ちゅうていは幼稚園に。 まだ寝ているちゅうていをじーじの布団に移して(2週間前からプチ同居中)1時間かけて病院に向かった。 ちゅうていは目覚めて「うーたん(旦那)はー?あーたん(私)はー?のりちゃんはー?」とひとしきり探してまわり、誰もいないと観念すると大人しく朝ごはんを食べて幼稚園へ行ったとのこと。偉すぎて泣けてくる。 順番待ちを私の両親がしてくれていたので

          手術日決定

          なぜ内分泌科を受診していたのか

          のりぴーは2020年11月24日の深夜3時頃陣痛がきて3時間くらいで生まれた。3952gの大きな赤ちゃんだった。本当に大きくて生まれたのりぴーを見た時笑いが出た。こんなに大きかったのに3時間というスピード出産。なんて親孝行な娘。 コロナ禍の出産は孤独なんて聞くがそもそも立ち合いは希望してなかった。ちゅうていも一人で産んだ。2017年はバリバリ立ち合い可能だったが、なんだか隣に旦那がいるのが嫌で出て行ってもらった。そして産まれて10分後くらいに旦那も両親たちもちゅうていに会う

          なぜ内分泌科を受診していたのか

          甲状腺乳頭癌と診断された

          昨日私は自分が甲状腺乳頭癌だと宣告された。 そんな病気になってるなんて思ってもなくて、私はただ生後3ヶ月ののりぴーを病院に連れて行くか行かないかで前日まで悩んでたくらいだった。あ、あとは毎回毎回待ち時間の長い内分泌科の受診、意味あるのかなー?って。はー。また何時間も待つのかー嫌だなーってそんなことしか考えてなかった。 「今日は一人でこられました?」一瞬先生の顔が引き攣った。 「はい。一人です。」そんな返しをしたのは覚えている。 「先週の検査の結果、悪性でした。」頭に雷

          甲状腺乳頭癌と診断された