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今日会いに行きたい!気になる土偶#045ミュージアム都留

前回に続き、今回も愛しい〝ハート顔〟土偶のご紹介です。
前回のハート形土偶の流れを汲んだと思われるハートの顔ではありますが、徐々に変化したのか、違う文化との融合か、はたまた作り手の創作か…全体的にはずいぶんと違う形になっています。

1971年に山梨県都留市で見つかった縄文時代晩期の板状の土偶です。見ての通り大きな耳飾り、寸胴なペタッとした体つきが特徴的です。
シンプルな造形であるものの全体が赤く塗れていることから、塗装するという手間暇をかけて作られた〝特別な土偶〟であることがわかります。

土偶の耳には、当時のものと同じような耳飾りがあり、縄文時代の風俗を表していると考えられます。

山梨県中谷遺跡出土・山梨県立考古博物館

上の写真を見てもわかるように、実はこれは山梨県立考古博物館にある模造品です。
ホンモノは同じ山梨県都留市にあるミュージアム都留にあるのですが、残念ながら撮影不可。
そこでスッケチを元に描いてみました。
ということで、実際とは違いがあると思いますが、その点はご容赦くださいね。

見ていただきたいのは、後ろ姿!
土偶の背後にが置かれ、後ろ姿が映し出されていました。


自立することが出来ないので、
ガッチリと支えられていました。

頭の後ろに、「横向きのハート」のような模様が左右にあり、
背中には、前面と同じような「乳房らしきものが4つ」。

見た事のない土偶の後ろ姿です。
後ろ姿というよりは、顔のようにも見えますね。
横向きハートは顔を表しているのでしょうか?
ひょつとすると、2つの顔にそれぞれの乳房?
思わず三面六臂の阿修羅像を思い浮かべてしまいました。

この土偶は縄文時代晩期の配石遺構の中にあった石組の中央部に、頭を南に顔を上にし、両腕は欠けた状態で横たわっていました。
(配石遺構とは、石を円形などの形に並べた墓や祭祀の場等と考えられる縄文時代の遺跡をいいます。)

この遺跡のある地域は富士山から約20~30㎞に位置し、周辺にはいくつもの大きな配石遺構が確認されています。
縄文時代には度々噴火をしていた富士山ですが、最も火山活動が活発化したのは今から約3500~2200年前と言われています。ちょうどこの土偶の生まれた縄文時代晩期にあたります。
その前の時代の富士山周辺では竪穴住居の数が最も増えたものの、この時代に入ると激減したことも分かっています。

こういったことを考えると、「富士山の噴火と何かしら関係」があるように思えてきます。
富士山の噴火への恐れなどから、他の地域では見られない祈りが行われたのかもしれませんね。そこで使う祈りの道具である土偶も、他では見られない形になったのでしょうか。

*参考資料
縄文文化が日本人の未来を拓く 小林達雄 徳間書店
縄文土偶ガイドブック 三上徹也 新泉社

最後までお読みいただき有難うございました☆彡

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