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どんな形でもイイじゃない⁉

日本で一番有名な縄文時代の土偶は?
リサーチした訳ではありませんが、
恐らく遮光器土偶ではないでしょうか。

大きな目に一本線・・・
遮光器(ゴーグル)のようなものをつけているから、その名前がつけられたのは有名なエピソードです。
遮光器土偶縄文時代の終わり頃東北地方で出現した代表的な土偶であり、その独特な装飾に興味を持つ人も多いようです。

 東京国立博物館蔵 重要文化財

頭の飾りや体に施された文様はもちろん、
ずんぐるむっくり体系のようでいて、
ウエストがキュッとしまっているのも
面白い!

これでもか⁉というほどの装飾。
コテコテ感はこの時代の流行かと思いきや、
これと正反対超シンプルな土偶も存在していました。

X字形土偶

「X」でシンプルに表現された土偶です。
遮光器土偶と同じ頃に、同じ東北地方から多く出土しています。

人の形を大きくデフォルメしています。
顔の殆どが省略されていますが、手足、体には正中線や乳房などがあり、妊婦を表現している土偶のようです。

当初は遮光器土偶の省略形と考えられていたそうですが、その丁寧な作りから独自のデザインと考えられています。

大きさは殆どが5㎝前後の小さな土偶です。
じょうもぴあ宮畑蔵

縄文時代の終焉を迎えようとしていた頃に、
このように真逆ともいえる斬新な形の土偶もあったとは驚きますね。

「X」が生まれた背景には、
装飾豊かな遮光器土偶が特別なモノであったからと思われます。
遮光器土偶はどう考えても、生活の片手間に作れるものではありません。
〝熟練の技〟を持った人が丹精込めて作り上げたモノ。
そう、もの凄く特別であったのです。

そしてこの特別なモノは、祭祀などのハレの日に使う特別な道具であったのです。

東北地方を初めとする東日本では環状列石(ストーンサークル)と呼ばれる、石を丸くならべた遺跡が多くあります。
祭りや、死者を弔うのための特別な場所だったと考えられています。

その環状列石が表しているように、祭祀などが生活の中の一部として行われて、その時にこの特別なモノが使われていたと考えられます。
そして日常で個人や家族単位で使うものが、このX字形土偶であったと考えられます。
一軒一軒の竪穴住居の神様として、あるいは狩りに行く時のおまもりとして持ち歩いたのかもしれません。

一方で、その後の弥生時代には縄文時代と同じような形の土偶が出現していたのです。

容器型土偶

縄文時代の土偶と同じような・・・というより、これはリアルに人間を模している!と思える土偶です。

どっしりと自立させるためか脚は表現されていませんが、その手は動きを感じられる表現です。

容器型と言われるように、
頭の部分が容器になってる高さ20㎝ほどの土偶です。
そこには、亡くなった子どもの骨が入れられていました。
子どもの死亡率の高かった時代に、その死を弔うために作られたと考えられています。

山梨県立考古博物館蔵

容器形土偶縄文土偶に似ていますが、全く違う用途として作られていたのです。
土偶たちの可愛らしい顔は、亡くなった子どもへの愛情から生まれた表現かもしれないですね



そして、それまで土偶が殆ど作られてこなかった西日本
東北X字形土偶が出現する少し前に、
独特な形の土偶が出現します。

分銅形土偶

イチョウの葉のように見えるな分銅形土偶は、中央がくびれ、扇が上下対象に繋がった様な独特な形。
こちらも人の形を大きくデフォルメしたと思われるようなデザインです。

分銅とは、秤で重量を測定するとき、重量の標準として用いるおもり。多くは金属製で筒形、釣鐘形のもの。

コトバンク参照

大きさは5㎝~10㎝、小さな穴が左右や上部に開いていることが多く、稀に顔や乳房が表現されていることもあります。地域によっては四角形のものもあるとか。

顔に見えるような弧や円の文様は、櫛のような道具や細い棒のような道具を使って精工に施されています。

倉敷考古館蔵
岡山市埋蔵文化財センター蔵

この分銅形土偶も縄文時代の代表的な土偶のように、祈りの道具であったと推測されています。

西日本は、日本列島の中でも少し早い時期に農耕文化への一歩を踏みだしました。その生活の変化と共に、祈りの道具も生活に合った実用的シンプルな形に変化したようです。

その後暫くの期間を経た弥生時代の中期頃、分銅形土偶は再び吉備の国を中心に多く作られるようになりました。
縄文から弥生への移行期弥生中期、どうして同じようなものが多く作られたかは、分かっていないようです。

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この様に、食料を主に採集や狩猟でまかなっていた縄文時代から、米などを栽培する弥生時代へ、その生活の変化と共にモノに対する考えも徐々に変化していったようです。

縄文時代の呪実的な創造豊かな造形が、弥生時代には機能や実利を重視した造形へと変化しました。
やがて金属などの新しい素材や新しい技術も伝わったことも相まって、古墳時代の銅鐸や銅鉾の様に祈り道具も変化していきました。
そして仏教が伝わり、仏や社殿といった仏教美術が花開くのは知ってのとおりですが、そこに変わらずにあるのは人々の祈りでした。

今、社会の様々な要因で、祭礼や葬儀などの形も変わろうとしています。AR/VR技術を取り入れものや、インターネットを通じて行うものなど、時代を反映した新しい形も生まれています。
例えどんな形になろうと、その根底には祈りがあることを常に覚えておきたいです。

縄文時代に大輪を咲かせた祈りの道具であった土偶
その精神は、形が変わってもずっと大切にされてきました。
どんなに科学が発達して、この先も変わることがないと思いたいですね。

大田区郷土博物館蔵

最後まで読んでいただき有難うございました☆彡

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