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今日会いに行きたい!気になる土偶#101:奥会津のリアルな女神さま/やないづ縄文館

四方を山々に囲まれ、冬には深い雪に閉ざされる奥会津。きっと彼女は人々の光であったことでしょう。

今から約5000年前縄文時代中期

土偶と言えば、あの大きく目が誇張された遮光器土偶のような造形を思い浮かべるでしょうか。
一般的に土偶は縄文人を表していると言われていますが、多くはデフォルメした表現でとても人間とは思えない様相です。

それに比べて「今日の土偶」はかなり写実的。美しく気高い女性を表しているようにも見えてきます。

現存の高さは15.5㎝。
下半部は失われ全体像は分かっていませんが、隣の小さな土偶と同じような姿であったと想像できるようです。

かなり大きな耳飾りをつけ、両手を大きく広げて天を仰ぐ…人々の希望となり羨望を集めた女神であったのかもしれません。
とはいえ、平たい上半身を見る限りでは自立することは難しかったようです。

右にある写真パネルは印象的な文様のある後ろ姿。

角度を変えて見るとイメージも変わり、より人間らしい表情が見られるようです。

この写実的な表現は「石生前形」とも呼ばれます。

そして、またちょっと角度を変えると、なんだかアンニュイな女性像に。

何かもの言いたげな…。

この表情を見ていると、実際にそこにいた美しい女性の姿ではないかと思えてきます。

多くの土偶が人間らしくないのは、土偶が「神」であると示すために、敢えて人間とは違った造形にしたと考えられています。

しかし、「今日の土偶」はこんなにも人間らしい。でも、それは顔だけ。
尊い女神は気品ある美しい姿であってほしい…ここに住む縄文人の願望が土偶に込められたのでしょうか。

この土偶が出土した石生前いしゅうまえ遺跡は大きな集落跡で、希少価値のあったヒスイの大珠を含め多くの遺物が見つかりました。

またこの遺跡の営みがあった以前には、近隣の火山が大噴火を起こしていることから、火山層の下にもっと古い時代の人間の痕跡が眠っている可能性も考えられています。

土偶の造形は時代と共に、その土地ならではの変化を遂げることがあります。
気候変動や天災によって生活が変わり、そこに住む人々の精神性に大きな影響が及んだこともその要因の一つとなるようです。


最後になりましたが、
今回の能登豪雨で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。平穏な生活が一日でも早く戻ってくることを切に願っています。


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最後までお読みくださり有難うございました☆彡

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