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10年前、メアドだけでつながっていた友よ

#人生を変えた出会い

別れはいつだって、突然やってくる。

今の自分があるのは彼のおかげだ。ここではTくんと呼ぶことにしておく。

中学と高校が同じで、中学2年から高校卒業まで計5年間同じクラスで過ごした。わかりやすい言葉でいえば親友だった。

「だった。」と過去形なのはもう10年以上会っていないからで、「だ。」と言い切るには自信が欠けている。

Tくんは好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきりと言う気持ちのいい性格をしていた。トゲのある言い方をして人から嫌われることもあったし、悪さをして痛い目を見ることもあった。

一緒にいて、冷や冷やとさせられた場面もたくさんあった。その危なっかしさも含めてめちゃくちゃ好きだった。俺とTくんの二人はどこに行くにも一緒で、ペアとして認識している人も多かったと思う。

高校に入って最初の2、3ヶ月、僕とTくんは口癖のように「高校ってつまんねえな。辞めたいな」と話していた。今にしても思えば若気の至りというか、中二病全開な感じで恥ずかしい限りなのだけれど、それもまたいい思い出だ。

高校生活3年間で築いた人間関係はもれなくTくんを介したものだった。Tくんは人付き合いが上手かった。

当時はLINEやTwitterはまだなく、意中の人にメールアドレスを聞くのが一大イベントだった時代。僕にはそんなことをする勇気はなく、女子のメアドはほとんどTくんを経由して手に入れるという反則技を使っていた。Tくんには「ずるい」と言われた。そう言いつつ教えてくれていたんだから優しいなと思う。Tくんの存在なくして、僕の青春時代などなかったわけだ。

Tくんはビジュアル系バンドが好きだった。音楽のことはあまり詳しくなかったけど、彼の影響で音楽が好きになった。学校帰りにはよく一緒にCDショップへ行った。二人でX JAPANのライブへ行ったこともある。

TくんはAKB48も好きだった。誘われて握手会にも行った。あの頃に握手した彼女たちのなかで、今もグループに残っているのはほんの数人だ。

テレビも映画も漫画も、Tくんが面白いと教えてくれたものを見ていた。15歳から19歳くらいまでに経験したカルチャーはほとんど彼から教えてもらったものだ。

あのときは「こいつとはずっと友だちでいるんだろう」と漠然と思っていたはずだけど、そんな関係もあっさりと終わりを迎えてしまう。

映画みたいに悲劇的な出来事が二人の仲を切り裂いたわけでもないし、物理的に会うのが難しくなったわけでもない。これといったきっかけも思い当たらないまま、ある時期を境にほんとうにぱたりと会わなくなった。

・・・

Tくんは高校を卒業して浪人生になった。その期間、Tくんは高校2、3年で同じクラスだったSくん、Tくんと同じ浪人生になったNくんの3人でよく遊んでいたらしい。僕がそこに加わることもあったけど、何ヶ月かに一回程度だったと思う。僕はその当時、平日は授業、土日は丸1日バイトという生活を続けていた。

そんなふうにしていると、1年なんてあっという間に過ぎていく。再び新しい春が来て、受験の季節になった。そして、その春を境に僕はTくんと会っていない。あのときは19歳。もう29歳になっちまったよ。

会う回数が減っていた時期も、メールのやり取りはしていた。だけど、本当にそういう連絡がぱたりと止んだ。僕はTくんがどこの大学を受験したのかさえよく知らなかった。受かったら聞けばいいと思っていた。

色々なことを考えた。

新生活の準備が忙しくなったのかな、とか。受験に失敗して会いづらくなったのかな、とか。もし後者だったとすれば、心情は理解できる。僕はその翌年には就職する予定だったし、Sくんはすでに大学生活を楽しんでいた。Nくんも志望の大学に合格した。自分だけが取り残されると感じたのかもしれない。

10年以上が経った今も、Tくんが僕と連絡を取らなくなった理由はわからない。でも、僕は受験失敗が理由だと勝手に思っている。間違ってたらごめん。

確かめるチャンスはあった。あの当時、いきなりにでも会いに行って腹を割って話せばよかったと後悔もした。お互いの家は自転車で10分の距離にあった。それなのに会うのを拒否されるかもしれないという気持ちが先にきてしまった。

Tくんとはお互いの誕生日にメールを送り合う習慣があった。連絡が途絶えてから初めての誕生日にもメールを送った。返事はなく、何かが完全に「終わった」気がした。

それでもさらに1年後の誕生日にもおそるおそるメールをしてみた。この時にはもうメールを送ることすら怖くなっていた。「誕生日おめでとう」。記号も絵文字も何もつけず、まだ使われているのかも定かではないアドレス宛にメールを送る。すると、誕生日から日付が変わった深夜に「👍」の絵文字だけが返ってきた。今のところ、これがTくんとの最後のやり取りだ。

仲が良かったはずのSくんとNくんも、Tくんとはもう連絡は取っていないという。2人とはその後も会う機会がちょくちょくあって、その度に「Tくん、どうしてるんだろうね」と話した。気づけば最近はその話題すらも出なくなっているが、2人よりもTくんとの付き合いが長い僕は、彼らと会うとどうしてもTくんのことを考えてしまう。

・・・

Tくんから最後のメールが届いてからも随分と時間が経った。

携帯電話はガラケーからスマートフォンに代わった。@docomo.ne.jpや@softbank.ne.jpのメアドは使われなくなった。僕とTくんを繋いでいたものは、そのメアドだけだった。

TwitterやFacebookも浸透する以前のこと。当時のSNSといえばmixiだが、気づけば誰も使わなくなっていった。大事にとっておきたかった思い出たちも、抗いようのない時代の変化に飲み込まれていった。

TwitterやFacebookでTくんの名前を検索をしても、それらしいアカウントは見つけられなかった。何年か前にgmailのアドレスからメールを送ったが、予想通り音沙汰はなかった。

今でも実家に帰った時はTくんの家を見にいく。今もそこに住んでいるのかどうかは知らない。Tくんの家はマンションの1階で、部屋は道路に面していた。高校時代はいつもそこで待ち合わせをして一緒に登校した。ここ数年、彼の部屋(だった場所)の灯りがついているところを見たことはない。

オートロックではなかったし、玄関の前まで行って表札を確認すれば、今でもそこに住んでいるのかどうかは簡単に知ることができた。でもそれによって、何かを知ってしまうことが怖かった。怖くて、エントランスから先に足を踏み入れることができなかった。

・・・

極端なことをいえば、僕はTくんが生きてるのかどうかすらも知らないのだ。変な話、自分の中では不慮の事故にあってしまったんだと思っている節がある。

でもあいつは、僕やSくんやNくんとの関係を絶っただけで、ごく自然に過ごしているのかもしれない。自意識過剰な妄想や思い込みで、こちらが勝手に苦しんでいるのかもしれない。

あいつが僕と関係を断たなければいけない重大な理由があったと、一方的に思い込みたいだけなのかもしれない。あんなに仲の良かったのだから離れる必要なんてないじゃないか、と。

僕はもう一度会いたいと今も思っているけど、それがあいつに伝わったらいったい何を思うのだろうか。

あいつが今、僕に対して何かを思うことはあるのだろうか。あってほしいと思うことはおこがましいのだろうか。「俺たち、親友だよな」なんて恥ずかしい確認をし合ったことはないけど、そう呼んでもおかしくないはずの関係だった。昔の友だちと会わなくなるなんて「よくあること」なのかもしれないが、こればっかりはどうしても納得しきれないところもある。

10年という歳月は、あまりに長い。どんなに濃かった思い出さえも忘れさせてしまうくらいには長い。

このnoteを書きながら、なんとなくTくんの名前をGoogleで検索してみた。出てくるのは全く知らない人のFacebookページや姓名判断ばかりだった。わかりきったはずの検索結果にがっかりして、思わずため息が漏れる。

何をしているんだろうと思いながらも、検索ウインドウをもう一度開く。Tくんの名前の後ろにスペースを入れ、さらに「親友」と打ち込んでみた。表示されたわずか6件の検索結果に思わず笑ってしまう。

それと同時に少しほっとした。ずっと知りたかった答えをインターネットなんかに言い当ててはほしくなかった。

10年前、メアドだけでつながっていた友だちは、今もまだ友だちということでいいんだろうか。

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