二大政党制の問題について

過去の常識は時代の中で歪みを生む

議会制民主主義が世界中で主流となっている。

各地に議会があり立法府という顔を持つ。

日本のような間接民主制国家はよく行政と立法が密接すぎると行政学の分野で問題視されることも多い。

議会政治とは多くの問題を孕んでいる。

私は政治において万能な体制などはないと考えている。その時はいいものでも時間と共に問題が発生し徐々に疑われていく。それはいつしか歪みとなり糾弾され変化する。

人類はこの反省の連続で成長してきた。

これに関して問題を挙げるとすれば、問題が大きく社会に影響を与えるまで大衆は気にせず生活していることだろうか。

例えば少子化の問題、これは1980年代ごろから言われている。私が知らないだけでもっと昔から言われているかもしれないが、もう40年近くこの問題は解決へと至らない。

解決する気があるのかもわからないし、個々人が気にして生きているかと言われればそれも首をかしげたくなるようなものだ。

少子化気にして生きてるなら芸能人の不倫くらいは許すのではないかと思う。

しかし、これを許容せず徹底的に叩くという姿勢を見るにメディアは問題提起をしその解決法を政府関係者や評論家にどうするのかと聞き意見を問う反面、非倫理的な手法ではあるが事と次第によっては少子化を改善しうるかもしれない不倫や浮気という行動を激しく非難する。

無責任で気ままに番組を作って思うがままに報道をしているかと思えばバラエティは誰も頼んでないコンプライアンスなるものを気にして自粛姿勢をとり自ら表現の幅を狭めている。

過去できたことは今では不謹慎・不埒・下品などと言われ「教育に悪い」という親たちの魔法の言葉で制限される。

私は生きにくくなってきたなと感じる。

海外に移住したくなる若者や金持ちの気持ちもわからなくはない。

まさに多くのことが自由で今よりも奔放な倫理観が許されていた時代の常識は今では受け入れられないものになっている。

これは政治においても言えることだ。

二大政党制というと議会政治の中ではベストな仕組みだと考えられてきたかもしれない。

残念ながら日本ではそのベストは実現せず、政権を取る気のない野党第一党(社会党)と万年与党の自民党によってとても二大政党制とは言えないものが戦後続いていた。

これが「55年体制」と呼ばれるものだ。

しかし、小沢一郎によってこの体制は壊され平成の世の中で二度の政権交代を実現する。

しかし、新進党も民主党も一時のもので自民党の代わりの存在へと昇華することなく、政権を取って再び自民党に政権の座を返すとバラバラになり中途半端な政党へと成り下がる。

戦前は腐敗していたという指摘はあるだろうが一応二大政党制が機能し立憲政友会と立憲民政党の二大保守政党で「憲政の常道」という政権交代の仕組みを実現していた。

日本にとって二大政党制というのは実現できなかった夢物語ではあったが、この二大政党制というのも考えたほうがいいというのが今回の内容だ。


同質化という現象

なぜ二大政党制を再び考えるべきなのかというのは世界中で生まれてる反既成政党であったり反エスタブリッシュメント(支配階級)を掲げる勢力の台頭を見れば明らかだ。

これまでの支配体制は不満を蓄え過ぎたのだ。

反エリート主義・新反動主義などといった思想もこれに近いものだ。

例えばアメリカで言うならエスタブリッシュメント側は前政権の民主党オバマ政権だと思うかもしれない。

それはトランプ大統領が度々行うオバマ氏対する批判から推測できるだろう。

しかし「ドナルド・トランプ」という存在は前政権のオバマ氏に対する不満によって生まれたわけではない。ちなみに彼は元民主党支持者だ。オバマ氏と敵対するような言動も大統領職を意識するようになってからのものだ。

では何が彼を大統領職に押し上げたのか。

それはこれまでのアメリカ政治体制そのものだ。オバマ氏だけの話ではない。その前のブッシュ(子)氏・クリントン氏なども批判される対象に含まれていることだろう。

さらに言えば民主党支持者というのは都市部の人間で富裕層や生活に恵まれているものが多い。一方共和党というのは都市部よりもアメリカ中部などの労働者層に支持されている。

共和党から大統領になったブッシュ(子)政権はリーマンショックの影響もあり「小さな政府」を目指す共和党政権であるにも関わらず財政出動をし「大きな政府」の姿勢を取った。

これが政党の同質化という現象だ。

行政は時と場合によっては自分の出身政党の理念から遠ざかるような行動をとる場合がある。そして議員側もその時の情勢によって党の方向性とは違う発言をして当選を狙うことがある。

このような形になると誰もが耳障りのよい発言をすることになる。結果この現象が起こるのだ。

支持者にとってこの現象は裏切りとも取れ行政から見捨てられたという感覚となり、より都市部や各官庁のエリートたちに反感を募らせる。

アメリカの場合は行政の同質化が標的となりこれをトランプは非難した。

これをよくメディアは分断というが、この分断はトランプ派か反トランプ派かという二択の話ではない。

トランプ派か反トランプ派かエスタブリッシュメント派かの三つの勢力の争いなのだ。

反トランプ派とエスタブリッシュメント派はトランプ嫌いでは一致するがその思想の中身はまったく逆のものだ。

それは来年に迫ったアメリカ大統領選の民主党陣営の立候補者たちの発言から見えてくる。彼らの中にエスタブリッシュメント派の候補者は少ない。しいて言えばバイデン氏だろうか。

サンダース氏やウォーレン氏などは自らを民主社会主義者だと言っている。

ソ連があった時代には考えられないことだ。

かつて社会主義はアメリカにとっては敵対するイデオロギーだったが今では次の政権を担うイデオロギーに成りうるかもしれないところまで来ている。

まさにアメリカンドリームだ。イデオロギーにまで夢がある。

このような勢力の台頭も反動主義の一つでありエスタブリッシュメントに対する反抗だ。決してトランプだけに対する反抗ではないということを理解して欲しい。

差別化が求められる既成勢力
新自由主義が台頭した時代。

アメリカではレーガンがイギリスではサッチャーがそれぞれ政治を担っていた。彼らは同質化していた政治を差別化した人たちだ。

世界恐慌から始まった大きな政府へと政治体制が変化していった時代は経済の思想として計画経済というものが流行った。

これは社会主義にも近い思想であるし自由主義社会の中ではケインズ主義と呼ばれた。この体制は1970年代後半まで続いていく。

しかしこのケインズ主義体制の中で社会は到達できる限界値に達してしまった。

これを新自由主義を訴え激しい競争社会へと移行したのが上記の二人だ。彼らはケインズ主義体制の中で同質化した二大政党を差別化した。

アメリカであればリンカーンから続く共和党のイメージが冷戦下、ソ連という敵との対峙により政権交代をしていく中で融和姿勢に傾き同質化していた。この同質化はウォーターゲート事件で倒れたニクソン政権、続くフォード政権とカーター政権の中で批判にあいこれらのイメージを払拭する形でレーガンが新しい共和党のイメージを作りアメリカの未来を語った。イギリスも戦時中のベバリッジ報告から福祉国家建設へと労働党が社会を牽引し、保守党もその流れの中で同質化を続けていた中サッチャーが英国病の克服を語り強いイギリスを取り戻そうと新しいイメージを作った。

彼らの共通点は新自由主義の推進者というだけでなく「強い国家への回帰」を国民に意識させたという点もある。アメリカで言えば軍事力の増加とソ連を「悪の帝国」と呼び敵対心を煽った。

イギリスであればフォークランド紛争の勝利などだ。

彼らは同質化していた既存の勢力の中から異端児のような扱いを受けていた。しかしこれが同質化現象によって取り残された人達の不満を汲み取り人気を得たのだ。つまり同質化は古くからの支持者を社会の中で取り残しそれを汲み取ろうとする新興勢力を生むことになる。

この循環は永遠に続くことなのかもしれない。

イギリスのブレクジットの問題も党を超えて対立を生んでいる。これも同質化が生んだものだ。

二大政党制を今後も維持していくためには再び二大政党を差別化する必要がある。

ジョンソンのハードブレクジットは差別化をわかりやすく見せたものだ。

彼によってブレクジットがされ今後のイギリス社会や経済をどう動かしていくかによってはジョンソンは長期政権を狙える。

アメリカのトランプも社会主義候補者が相手ならあまり苦しまずに勝てると予想する。

現在の国際社会は各国の政党の同質化によって新しい勢力が台頭する現状を招いている。

二大政党制は終わりの時を迎えようとしているのだ。

フランスのマクロンもエスタブリッシュメント派ではあるが新勢力の一つだ。彼は元オランド社会党政権の政権関係者だが自らを左派だと宣伝して当選してはいない。

そもそも2017年の大統領選挙は既成政党の候補者が早々に脱落したため反既成政党の国民戦線のルペンかエスタブリッシュメント派の新勢力かの対決となったのだ。

私はこの構図を改めて見た時に二大政党制の終わりを感じた。

私は右派とか左派で政治を語る時代はとっくに終わっているとは思っていたが次の構図がどのようになっているかを理解してはいなかった。

もっと多様になって上下左右の勢力が混同するのかとも思っていたがそれだけではない。そこにエスタブリッシュメント派か反エスタブリッシュメント派かも関わってきているということに気づいた。

既成勢力は差別化して原点に返るか現状の路線で固定化しないとこの反動主義などの中で生まれてくる様々な新興勢力によって支持者を奪われていくということになる。

元から多党制の国であるイギリスや日本はこれが徐々に表れていくことだろう。

既存の勢力の力を削いでいく新興勢力がどんどん表れアイデンティティのない政党は淘汰されていくだろう。

多党制がこれからの政治体制の主流へとなっていくかもしれない。

アメリカでこれは難しいかもしれないが着々とリバタリアン党や緑の党は党員を増やしていることは明らかだ。過去の常識は現在に通用するとは限らない。まさに政治体制も今一度考える必要があるようだ。

Polimos管理人 オカソ

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