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ボナパルト家を取り巻く女性たち - ジョゼフィーヌ編《1》出生地の謎と最初の結婚

はじめに

この絵↓で有名なジョゼフィーヌは、フランス皇帝ナポレオンの最初の妻。

全名はマリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ。
ナポレオンが彼女をジョセフィーヌと呼ぶまでは、ローズなどと呼ばれていました。

ここでは面倒なので複雑さ回避のため最初からジョゼフィーヌ呼びで統一しますね。

皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式


◇ 

自分より6歳年上の彼女にナポレオンはもう夢中、英雄らしからぬ恥ずかしいエピソードをちらほら残しています。
(詳しくは第5話以降で)

結局 後継ぎを産めず2人は離婚しますが、ナポレオンとは生涯よき友人関係でした。
その仲の良さは、彼の後妻が嫉妬するほど。

今回は、そんな彼女の生涯をまとめてみました。


思いがけず全8話になってしまい、しかも第5話までナポレオンが出て来ないという誤算。
(何故なら出会ったのが30歳過ぎなんです…)

なので、全エピソードの目次を貼ります。
ナポレオンが出てくるまでは割とギスギス、ドロドロしていますので、必要に応じてご利用ください。

《エピソード一覧》

第1話: 出生地の謎と最初の結婚(当記事)
2泥沼離婚、修道院へ
3革命、そして投獄
4新たな愛人バラス
5ナポレオンとの出会い
6ナポレオンとの結婚
7離婚の危機
最終回フランス皇后へ、そして2度目の離婚

前置きが長くなりましたが、早速行ってみましょう。


◆出生地について

1763年6月23日、マルティニーク島生まれ。

…と言うのが広く一般的に知られていますが、実際にはマルティニーク島の南に位置するセントルシアで生まれたという説があります。

(西インド諸島拡大図)


現在イギリス領であるセントルシア、かつてはフランスとの領土争いをしていました。

そしてジョゼフィーヌが生まれたのと同年、彼女の父がセントルシアに移ってきたという記録が残っているそうです。

セントルシアは イギリスとフランスとの間で14回も領有権の交代があり、この事がジョゼフィーヌの国籍に影響を与えるのを恐れて、セントルシアで生まれたという記録がなされなかったと言われています。

ただ、1771年(ジョゼフィーヌ8歳)以降は家族でマルティニーク島に移り住んだという事で、マルティニークが彼女のゆかりの土地である事は確かなようです。

とりあえずここでは、出生地の真偽は置いといて

マルティニーク島という南国の植民地で育った

という点だけ頭の片隅に留めて頂ければ十分です。

◆南国に育まれて

さてマルティニーク島というのは、コロンブスが「世界で最も美しい場所」と称した島でした。

マルティニーク島の語源は、島に住んでいたカリブ人の言葉で
「マディニーナ(Madinina、花の島)」
または「マティニーノ(Matinino、女の島)」
だそうです。

後にパリ社交界の花となるジョゼフィーヌにぴったりのイメージですね。

(マルティニーク島。TUBS CC BY-SA 3.0 de, 
Wikimedia Commons)


(現在のマルティニーク島)


彼女は離島の植民地生まれらしい官能的で気まぐれな性格でした。

また母方の祖父がアイルランド人と言われており、エキゾチックな魅力があったそう。

フィクションですが『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラは、アイルランド系の父とフランス系母との間に生まれた美しい娘、という設定でしたね。


更に実家がサトウキビ農園であった事からサトウキビの汁を口にする習慣があり、そのため歯が悪く ハーフスマイルをするようになります。

それがまた謎めいた雰囲気を作り出していました。

ハーフスマイルをするジョゼフィーヌの肖像
※ハーフスマイルとは、現在では上の歯だけ見せてニコッと笑う仕草の事を言うようですが、ジョゼフィーヌのハーフスマイルはこんな感じで口を閉じていたそうです。



そんな数々のジョセフィーヌの魅力は、島にいた頃から複数の男性を惹きつけるものがあったみたいです。

◆最初の結婚、そして離婚

さてジョゼフィーヌはナポレオンの最初の妻と書いたのですが、彼女にとってナポレオンとの結婚は2度目の結婚でした。

ナポレオンと出会う前に、同じマルティニーク島出身の有力貴族アレクサンドル・ド・ボアルネと16歳で結婚していたのです。
(お相手は19歳)

(アレクサンドル・ド・ボアルネ)


ただ、この結婚は恋愛によるものではなく、下級貴族で貧しかったジョゼフィーヌ実家を助ける為の政略結婚でした。
(しかも病死したジョゼフィーヌ妹の代わり)

ややこしいのですが、ジョゼフィーヌの叔母が夫アレクサンドル父の愛人で、その叔母のお膳立てから結婚に至ったようです。
(愛人と言っても結びつきはかなり強かったようで、アレクサンドル父はジョゼフィーヌ叔母の言いなりだったそうです)

夫アレクサンドルはダンスの上手いパリ社交界の人気者

そんな彼にとって、島から出てきたばかりのジョゼフィーヌは田舎から出てきた、教養も無く垢抜けない娘に過ぎなかったようです。

一言で言うと、「タイプじゃない」という事だったのですね。

そうした愛の無い結婚生活だったため夫婦仲は悪く、夫は頻繁に浮気をしていたそう。



マルティニーク島では人気があったジョゼフィーヌも、結婚後の生活は孤独なものとなるのでした。

続きます。

続きはこちら
↓↓↓

参考

ナポレオンとジョゼフィーヌ (中公文庫) 


Wikipedia 

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