断層の巣と共に生きることを考える

 兵庫県淡路市(旧北淡町)にある北淡震災記念公園を訪問した。まず目を奪われたのは、実物の野島断層、一緒に展示されている説明文と模型、様々な角度から撮影された震災当時の写真だ。野島断層は、平成7年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を震源として発生した「兵庫県南部地震」の震源となった活断層の一つである。北は江埼灯台付近から南は富島地区まで、長さ約10キロにわたって続いている。断層の長さは地震の大きさとも比例しているため、将来発生する地震の規模を推定することが可能だ。近畿地方は断層の巣と呼ばれており多くの断層が存在する。約2000年周期で動くといわれており、それらはたった10秒で破壊するといわれている。自然のエネルギーによって動き、10秒で破壊される断層は動いてしまった後、何か対策を施すことは現時点で不可能に近い。

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 小倉地区は断層による地面のずれが最も多く現れた地区である。道路や畑の畦道、生垣などが断層により地形変化した。普段、歩く道や自宅の下にも自分自身が知らないだけで断層が走っているかもしれないということだ。

 また、断層は主断層と副断層の二つに分かれている。大きくずれるものが主断層、上下にずれるものが副断層である。実際、二つに分かれているが地下深くでは一つの断層としてつながっていると考えられているがまだ詳しく解明されていない点も多い。

 だが、断層付近の住宅でも全壊した例と被害が少なかった例がある。これは断層の状態に差があることだと考えた。活断層に近いほど揺れが大きいのは明らかであるが、それらへの対応として、壊れにくい、壊れたとしても被害を最小限に抑えられる住宅や建造物を建てるようにすることが大切だ。正直、断層への理解は難しい。だからと言って「難しいから知らない」「興味がないから」と逃げるのではなく、断層と共に生きるために、まず「ジブンゴト」として捉え、もしもの時のために防災グッズなどを準備して備えることから対策は始まる。

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挨拶から始まる防災対策もある

 「阪神淡路大震災でも、都会の神戸と田舎の淡路には差が出た」。そう語ったのは、株式会社ほくだんの代表取締役であり北淡震災記念公園の語りべである米山正幸さんだ。米山さんは、生後2か月の娘と妻の3人で寝ている時に阪神淡路大震災にあった。当時米山さんは地元の消防団に所属しており、発生後すぐに救出活動を開始したそうだ。北淡町では39人が亡くなったが、生き埋めの300人は地震発生当日17日の正午過ぎまでに全員助け出し、夕方5時過ぎには行方不明者0を発表するに繋がった。2020年2月現在、阪神淡路大震災による行方不明者は神戸市で2名、西宮市で1名の計3名である。同じ震災により明らかになった都会と田舎の差。それは「地域コミュニティ」である。米山さんの住む富島は近所とのつながりが密であり、その時間に誰がどこで何をしているのかなど、細かい情報が分かっていたという。そのおかげで、生き埋めの人をピンポイントで掘り起こすことが出来たそうだ。

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 わたしたちに今必要なことは「つながり」なのかもしれない。毎日の挨拶ひとつでもいい。地域の祭りに参加するでもいい。「自分はこの地域の一員である」。そのような思いをもって生活をすることが、防災対策へと繋がっていくと感じた。

(取材先:北淡震災記念公園 総支配人・語りべ 米山正幸氏)
(取材者:芝光彩、谷口浩都、坪内壽音、横山拓也)

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