1.17→ (イッテンイチナナカラ)

阪神・淡路大震災を経験していない世代が震災を学び発信することで、地震対策について考えて…

1.17→ (イッテンイチナナカラ)

阪神・淡路大震災を経験していない世代が震災を学び発信することで、地震対策について考えてもらうことを目的に、2019年度より神戸の大学生が活動しているプロジェクトです。取材の記録、学生たちの想いを綴ります。学生が作成した「神戸耐震検定」にもぜひ挑戦してください!

最近の記事

自分自身の防災を見つけよう

 様々な経歴の方々で構成されている株式会社フェリシモの防災プロジェクトを検討しているチーム(以下、防災チーム)に取材しました。被災地神戸の企業で、防災にも積極的に取り組みながら働く人の話を聞きたいと思い実施しました。フェリシモは阪神・淡路大震災以降、神戸学校というメッセージライブ(講演会)を神戸発未来への「経験と言葉の贈り物」というコンセプトのもと行っています。神戸学校での収益金は全額「あしなが育英会」を通じて東日本大震災遺児支援に活用されています。 この 記事を読んでくれ

    • 「しあわせ運べるように」を知るすべての人に届けたい。 この歌に込められた想いと記憶について

      臼井真先生は、震災が起こる前から、「しあわせを運ぶ天使の歌声合唱団」という子どもが地域の人や学校の先生に歌のプレゼントをする企画をしていた。阪神淡路大震災では、自宅が全壊。代表曲「しあわせ運べるように」は震災の復興を願う歌として神戸市すべての小学生をはじめ、世界各地で歌い継がれ、2021年1月17日より神戸市歌に指定される。これまで小学生のためにオリジナル曲を400曲以上作詞作曲。 あの時震災が起こると思っていましたか。 「全然思っていなかった。」これが、臼井真先生の答え

      • まちづくりとは、かけがえのない心のふるさとをつくること。時とともに変化しても、個性ある居心地の良いまちは人々の心の中に残り続ける。

        一級建築士で有限会社「スタヂオ・カタリスト」の代表取締役である松原永季(まつばらえいき)さん。「TeamZoo・いるか設計集団(以下、いるか設計集団)」の一員として神戸で就職した3年後に阪神・淡路大震災に被災。まちづくりコンサルタントとして、神戸の復興まちづくりに携わるようになったことをきっかけに、まちの個性を存分に活かしつつ防災対策もできるまちづくりを目指してきた。現在は駒ヶ林を拠点に活動する松原さんに、震災での経験がもたらしたもの、そして、人々の“記憶のよすが”になるまち

        • 震災の跡が消えても、震災の記憶は忘れない。震災に強いまちをつくるために、危機管理室ができること。

          神戸市危機管理室とは、神戸を安全で安心なまちにするために災害対応や国民保護、地域防災計画の策定、防犯、交通安全などの業務を担う部門。今回、取材に応じてくれたのは、神戸市危機管理室の大野さんと福井さん。実は2人とも阪神・淡路大震災当時はまだ幼く記憶はほぼないという。現在は災害対応や防災啓発、地域防災計画の策定などに携わる職員として、震災を知らない大野さんと福井さんが、日々どんな思いでまちを支えるための活動を手がけているのか話を伺った。 混乱のなかで得た危機管理の気づき 19

        自分自身の防災を見つけよう

          災害に強い、顔の見える関係性を紡ぐ場所、「はっぴーの家ろっけん」。

          株式会社Happyの代表取締役、首藤義敬さんは、長田区に生まれ、小学校3年生の時に阪神・淡路大震災を経験。その経験を経て、2017年に、「はっぴーの家ろっけん」を立ち上げた。介護付きシェアハウスと称されるその場所は、いわゆる介護施設や、老人ホームとは、一線を画す。小さな子ども、地域の学生、社会人、お年寄り、外国人。多世代で、多文化な背景を持つ人びとが、日常的にそこへ集まっていて、みんなが顔見知り。現代社会で希薄になりつつある人と人とのつながりが、そこには存在している。 震災

          災害に強い、顔の見える関係性を紡ぐ場所、「はっぴーの家ろっけん」。

          新聞で命を守り、新聞で記憶を遺すために、地元メディアだからこそできること。 市民の視点に立ち、市民に伝え、市民の暮らしを豊かにする神戸新聞。

          まだインターネットが十分に普及しておらず、今ほど手軽に情報を手に入れることができなかった時代に発生した、阪神・淡路大震災。避難所に正確な情報を伝え、不安に陥る市民たちに強い安心感を与えたのが、神戸新聞だった。 阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けたにもかかわらず、1日も休むことなく新聞を発行し続けた神戸新聞。自らも被災者となった神戸新聞が、あのとき伝えたかったことは何なのだろうか。 また、震災を経て神戸新聞の紙面は劇的な変化を遂げたという。これからの神戸新聞が伝えていきたいこと

          新聞で命を守り、新聞で記憶を遺すために、地元メディアだからこそできること。 市民の視点に立ち、市民に伝え、市民の暮らしを豊かにする神戸新聞。

          目には見えない“心の復興”を描いたドラマ「その街のこども」を通じて考える、誰しもの心に“寄り添う”ということ。

          私がお話を聞いたのは、テレビ局のプロデューサーとしてNHKに勤める京田光広さん。阪神・淡路大震災から15年の年にドラマ「その街のこども」を手がけ、25年を迎えた2020年にはドラマ「心の傷を癒すということ」をプロデュース。さらに、ドラマだけではなく、「防災・減災」「災害ボランティア」をテーマに特集番組の取材や企画も継続している。長きにわたりメディアとして伝える立場で活躍する京田さんに、阪神・淡路大震災と数々の取り組みのへの思いを聞いた。お話を伺うなかで感じた、誰もの心の中にあ

          目には見えない“心の復興”を描いたドラマ「その街のこども」を通じて考える、誰しもの心に“寄り添う”ということ。

          震災が私たちに教えてくれたものは、人と人との繋がりだった。震災を経験した人、経験していない人の想いを結ぶ、シンサイミライノハナ。

          皆さんは、「シンサイミライノハナ」の存在をご存知だろうか? 花びらに見立てた黄色いメッセージカードに、一人ひとりの震災に対する想いが書き込まれ、5枚の花びらが1つの花となって「シンサイミライノハナ」が完成する。 そうして各地の被災地に届けられた「シンサイミライノハナ」はまちの中に飾られ、人々の心に優しく寄り添い、そのあたたかさを教えてくれる。 NPO法人Co.to.hana代表の西川亮さんが始めた、「シンサイミライノハナ」を集めて届ける「シンサイミライノハナPROJECT」は

          震災が私たちに教えてくれたものは、人と人との繋がりだった。震災を経験した人、経験していない人の想いを結ぶ、シンサイミライノハナ。

          「忘れた頃」に、備えを。

           東北の被災地で一瞬言葉を失った。現地で一緒に遊んだ小さな子どもが、ふとした瞬間に「お母さんを亡くした」と言った。被災者の方々がつらい表情で、当時の話を語ってくれた。私は正直どうすれば良いのかわからなかった。でも、この悲しみは二度と繰り返してはならない。それだけは肌で感じ取った。  何が出来るのだろう。何度も何度も考えた。「ひとりでも多くの方々に災害対策をして欲しい」という願いにたどり着いた。でも災害対策なんて後回しになってしまうのが現状だ。毎日を生きることは簡単ではない。

          「忘れた頃」に、備えを。

          書評「被災地デイズ」

           災害時には、自分の命を自分で守るために何が正しいのかを「自分で」決めなければならない。そのような状況に陥った時、私は果たして後悔の少ない判断を瞬時に下すことが出来るのだろうか。そう考えると、私は精神的な面からの防災対策をしていないことに気づいた。メディアでも防災グッズなどの「目に見える対策」は広く取り上げられている。だが、精神的な面である「目に見えない対策」こそが、私たちに不足している災害対策なのではないか。  この本はクロスロードと呼ばれる手法をヒントにして、阪神・淡路

          ラジオが照らした燈

           震災当時、人々を繋いでいたラジオ。それは、これからも残り続ける。1995年といえばまだ携帯電話が普及していなかった時代。フリーアナウンサーである藤原正美さんは、地震発生直後、AM神戸(現ラジオ関西)で、奇跡的に残っていたマイク2本を使って懸命に地域の方々に避難を呼びかけていた。緊急時において、ラジオは人々が情報を得る最後の砦として、人々に安心感をもたらしていた。  ラジオ関西は、地域密着型の放送局。震災時には被災者が生きていくために必要な情報にフォーカスを当てて伝えること

          共に生きる住まいづくり −「安心」を「耐震」から−

           「耐震工事後に“前はめっちゃ揺れとったのに全然揺れへんやん”と言われたとき、やりがいを感じます」。そう語ってくれた川崎史さんは一級建築士。神戸で37年間に渡り、建築設計監理に携わっている。 「災害の少ない神戸」が変わった1.17  天災がないと思われていた神戸を襲った未曾有の大地震。「まちを再建したい」。その思いから震災後の2、3年、川崎さんはとても忙しかったという。震災から約10年後には神戸市が耐震化の補助制度を設けるなど、徐々に耐震化の重要性も認められていった。そん

          共に生きる住まいづくり −「安心」を「耐震」から−

          書評「神戸新聞の100日」

           「午前5時46分」。この言葉を聞くだけで、震災を経験していない若者でも神戸の人間であれば、誰もがあの日ことを思い出す。私も震災を経験していない若者の一人だが、幼いころから学校で毎年のように震災学習を受けてきたため、震災のことはよく知っている。そのつもりだった、この本に出会うまでは。  神戸新聞社は、阪神・淡路大震災によってコンピューターシステムが完全に麻痺。あらゆる機材が使用できなくなった状態から、翌日には新聞の製作、配達に至るという偉業を成し遂げた。私はこの偉業を過去に

          書評「神戸新聞の100日」

          模型が灯す未来とこれから

          “失われた街”模型復元プロジェクトとは…  人々の記憶や思い出を手掛かりに、真っ白な模型に文字や色を書き入れていき、街を復元する取り組み。取材前、私は正直、街の復興に貢献できるリアルな取り組みを優先した方が被災者にとって良いのではないかと感じていた。けど約2時間後、プロジェクト創始者である神戸大学工学部准教授で建築家の槻橋修さんのお話を聴いて、被災地応援の新たなカタチを知ることになった。 被災者の方が語る記憶は、明るく楽しい記憶  模型を目の前にして、被災者の方々が話すの

          模型が灯す未来とこれから

          断層の巣と共に生きることを考える

           兵庫県淡路市(旧北淡町)にある北淡震災記念公園を訪問した。まず目を奪われたのは、実物の野島断層、一緒に展示されている説明文と模型、様々な角度から撮影された震災当時の写真だ。野島断層は、平成7年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を震源として発生した「兵庫県南部地震」の震源となった活断層の一つである。北は江埼灯台付近から南は富島地区まで、長さ約10キロにわたって続いている。断層の長さは地震の大きさとも比例しているため、将来発生する地震の規模を推定することが可能だ。近畿地方は断

          断層の巣と共に生きることを考える

          書評『地震イツモノート』

           本書は、1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の被災者167人に震災から12年経ったのち、あのとき何を思い、何をしたのか。そして今、何をしているのか。話を伺い、作られた防災マニュアルである。被災者の気持ちやそれぞれの工夫をまとめたノートのようなものだ。冒頭では「モシモ型防災」「イツモ型防災」という言葉を使い、簡潔に説明されている。本書を見つけた時、まず背表紙に書かれていた「キモチの防災マニュアル」という言葉に心惹かれた。そして、私たち

          書評『地震イツモノート』