Re:
差出人:先生
(件名なし)
可愛い子には旅をさせよと言いますからね
この思い出を胸の底からすくい出すとき、私はいつも、ちょっとだけ涙が出そうになる。
これは、私が過ごした ある2年間の話だ。
さて、これからする少し長い話に必要なので、まずは私の簡単な生い立ちを記そうと思う。
私は4歳からクラシックピアノを始め、高校から音楽科に進んだ、典型的な音楽科学生だった。自分で言うのもあれだが、成績は常に中の上というか、安定していて、受験にも不安を抱えたことはなかったように思う。しかしその反面、挑戦する気持ちに欠けていることがあった。手の届くところに満足し、その中に自分の居場所を見出そうとしていた。要するに、どこにでもいる退屈なティーンだったのだ。
転機が訪れたのは、大学に入ったとき。
音楽科では受験前から志望校の教授のレッスンを受け、合格すれば、その教授の門下(ゼミのようなもの)にそのまま入ることが通例なのだが、私はその教授から、別の先生を紹介された。
「あなたは、現役バリバリのピアニストの先生が合うと思うのよ。お願いしておいたから、しっかり勉強してきなさい」
紹介されたのは、ピアニストとしても活躍する男性の先生だった。
最初のレッスンを、よく覚えている。
ふかふかな大きい指が奏でる、透明でダイナミックな音。人情の機微に触れるような繊細な表現。
私はこの先生について初めて「ピアノが楽しい」と思った。…変に聞こえるかもしれないが、音楽が日々のノルマになりかけていた当時の私にとって、「ピアノが楽しい」はとても新鮮だったのだ。それと不純な動機だが、10代の私にとって先生はあまりに素敵で、この人に褒めてもらいたいという少女心もあったように思う。
それからは、昼夜問わず練習漬けの毎日だった。音を鳴らせる時間まではピアノを弾き、そこからは楽譜に向かった。毎週のレッスンでの鮮やかな気づきが嬉しかった。
ピアノが楽しい、とにかく楽しい。
何になれるか、何になりたいかでなく、とにかく今、弾き続けたい。
充実した毎日だった。
大学では、年に一度か二度、実技試験がある。1年生の最後の試験課題曲は、モーツァルトのソナタ。そしてこの試験は、2年生からの門下分けに影響するものだった。
ここでいう門下分けとは、成績優秀者を客員教授の弟子にしますよというシステムのこと。私の通っていた大学には、ドイツの姉妹校から招いたドイツ人ピアニストの客員教授がいて、先の試験で成績上位3人に入ると、2年生からこの先生につけるのだった。
選ばれたクラスという感じでなんだかカッコいいし、憧れがなかったわけではないが、先述の通り 中の上の成績をキープしている自分には縁のない話だと、私は意識もしていなかった。
しかし演奏後、その反応が予想外であることに、私は気がついた。
私のK.457は、なぜだか客員教授の耳にとまったのだ。
「きみ、来年から門下変わるからね」
1年生最後のレッスンで、先生は突然そう言った。
後々聞くと、やはり私が選ばれたのは成績順ではなく、客員教授が私の演奏をただ気に入ってくれたから、ということらしかった。よくわからなかったが、名誉なことではあった。
でも私はいやだった。先生のレッスンを受け続けたかったし、成長を見てほしかったからだ。しかし教授会の決定に、生徒の希望は無論通らない。
この日のレッスンのことを、私は忘れられない。
いやです、という言葉を飲み込んで、代わりに涙が溢れる私に、先生が聴かせてくれたショパン。
マズルカと夕焼けがとてもよく合っていた。
帰り際には、先生の目も心なしか濡れているように見えた。(しかしこの記憶は、あるいは私の願望かもしれない)
そしてこの夜。冒頭の一通のメールが届いたのだ。
差出人:先生
(件名なし)
可愛い子には旅をさせよと言いますからね
モーツァルトは、「旅をしない音楽家は不幸だ」と言ったという。それはおそらくほとんど物理的な意味だろうが、私はこのメールを見て、ふとその言葉を思い出した。
ピアノに向かう以外の時間を、豊かにするということ。無我夢中で弾いてきて、勿論これからもそうするのだろうが、先生のレッスンから離れることをきっかけとして、より外に目を向けろと言われているような気がした。
文字通り、私は旅に出た。
一般的な音楽科学生はレッスンを中心に生活が回っているので、門下が変わると、ガラッと環境が変わる。
うんと上手な門下生たちとともに、日夜練習に励んだ。このドイツ人教授も素晴らしい人で、毎週何時間もレッスンをしてくれた。求められるものも多かったし、私は、たくさんのことを学んだ。
しかしその中で、外に目を向ける時間も大切にした。
より本を読むこと。絵に触れること。さまざまなジャンルの音楽を知ること。会話をすること。そして、言葉を紡ぐこと。
外を通して、自分の内にであうような時間たち。
するとその中で、はじめての意識が芽生えたのだ。
私はなぜピアノを弾くのだろう、という、単純な疑問。
私はなぜ、ピアノを楽しいと思うのだろう?
そうして たどり着いたのが、自分はただ表現をしたいのだ、という簡単な事実だった。その頃の私は、外に目を向ける時間から派生して、朗読の舞台などにも意欲的に取り組んでいた。あるいはピアノもまた、自分にとってはそういった表現手段のひとつなのだろうか。
そして、これは当時の私には怖い気付きであったが、ついに ある可能性にもであう。
自分が将来付き合っていきたいのは、もしかしたら、ピアノじゃないのかもしれない。
そのようにして、2年が経った。卒業まで1年を残してドイツ人教授は帰国することになり、私は、元の門下に戻ることになった。旅の終わりである。
2年ぶりのレッスンで、私は先生にこう伝えた。
「先生、私、進学しません。ほかの挑戦をするつもりです」
2年間の修行の末のこの結論。さぞ呆れられるだろう。そう思いつつビクビクしていたのだが、先生は穏やかに「はい」と返した。
それを、2年前から知っていたような顔をしていた。
卒業直後、あるコンサートで師弟共演させていただいたときのこと。トーク中、先生が言った。
「彼女は、自分の持っている特別な香りというか、感性を、これから ほかで伸ばしたいと言っています。それを良かったなと思うし、楽しみです」
初めて聞く先生のこの言葉に、どれだけ安心し、そしてどれだけ後の私の力になったか、言い表すことができない。
タラレバを考えてみよう。
あのまま先生の弟子でいたら、ピアニストを目指し続けていただろうか?それは叶っただろうか?
答えは、No だ。
私は遠回りをしてでも、今の自分にたどり着いていたに違いない。
先生は優れた指導者として、優れた表現者として、私に自分自身を客観視する環境をくれたのではないだろうか。無我夢中で目の前のピアノに向き合い、もしかすると先生に依存しすぎていた私に、俯瞰的に将来を考えるよう警笛を鳴らしてくれたのではないか。
あの2年の旅があったから、私は自分に向き合い、いまこの文章を書くという表現に辿り着くことができたのだと思うのだ。
あのメールに、未来から返信を書くとしよう。
宛先:先生
Re:
私はまだ、旅の途中です。
私はきっと、こう送るだろう。
LIFE IS JOURNEY. あの旅の終わりは、また新しい旅の始まりであり、私が生き続ける限り、次の扉を開けるきっかけは至るところに転がっている。
ピアノを弾いて、そして書いて。私だけの何かを最近ようやく掴みかけた気もするが、この感覚は一生繰り返されるのかもしれない。
私は願う。フィールドが変わった今でも、いや、むしろ今こそ、先生の可愛い弟子でいられたらと。そして、あの言葉に恥じぬ自分でいようと、今日も思うのだった。
「可愛い子には旅をさせよ」
先生。私はまだ、うつくしい旅の途中です。
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