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気持ちを、強くね。

ひたすらに前向きな言葉を朝から夜まで頭の中で話続けている。シャワーを浴びている時、移動中、帰り道。自転車に乗っている時もお皿を洗っている時も。いつも私の頭の中はひたすらに前向きな言葉を話し続けている。

そうでもしないと、自分を保てていられない、簡単に壊れてしまう。どうにか、私を私が忘れないように意識してどうにか持ち堪え続けているだけだった。

個人的だったことの全てが世間ごとになってからというもの、何にも知らない人達から数えきれないほどの心ない中傷が私の心をえぐり続ける。私はそれでも毎日どうにか平然を思い出し、平然を装い続け、大丈夫という言葉も自分にかけないほど普通の生活を過ごすようにしている。守るものがなければ死にたくなっていたのかな。なんて思いたくないことも思う時があるほど、私のこれまでの人生は最も簡単に消え去った。

その中で私を私として居させてくれるのは家族という存在でしかなかった。朝起きて朝ご飯を作って、支度をして自転車に娘を乗せて保育園まで送ったら家に戻って洗濯をする。家の掃除をしたり、未来のためのことを考えたり、ノートに今月の、この一年の目標を書いたりする。気付いたらお迎えでまた自転車に乗る。お迎えの時の時間帯の夕暮れが私を少しだけ軽やかにしてくれる。迎えに行ったら娘は私に駆け寄り私の胸に寄りかかる。帰りに明日の朝のパンを買う。娘のバナナマフィンと夫のとうもろこしのパンと私にアプリコットのデニッシュ。帰ってきたら夜ご飯の準備をして、食べさせ終わればお風呂まで追いかけっこする。そうして寝かして、一日が終わる。こんな毎日でしかないけれど、これが私にとって私を平然と生かさせてくれるものだった。

なにもかもなくなったけど、私には何もないけれど、それが目的だったのであればもうそれでいいし、だからといって私は争うつもりもない。そんな気力があるほど私の自我は強くない。全てを理解しようと全てを受け入れた結果だった。私がこの10年間ひたすらに選び続けて手に入れてきたものは全て無くなってしまった。今まで私がラブリとして生きてきたラブリという存在にただただ申し訳なく思う。生かさせてあげることができなくてごめんなさい。こうやって居なくさせちゃってごめんね。

いっそのこともう遠くで過ごせたらいいのにな。毎日のたった今という瞬間にだけ光を当てることができたら随分、楽だろうなぁと、そんな風に最近は思う。

頑張れ、頑張ろう、頑張ろうね





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