見出し画像

平成最後の夏まで生きてしまった私から、受験生の夏の私へ

拝啓 受験生の私へ

盛夏の候、貴殿におかれましてはますますご清栄というほどでもないというか私もあまり元気なわけではないですね暑いので。
受験生、17歳の夏。
いかがお過ごしでしょうか。

受験生になったばかりの夏はまだきちんと現実味がなくて、ぶっちゃけあまり受験を意識して勉強していなかった頃かと思います。
あなたは最終的には、冬まで全くマークしていなかった関西の某私大に進学を決めます。
それとこれは大事なことですが、
あなたは国立の前期試験で某大学の文学部に合格しますが、どうぞその大学は蹴ってください。
勝手に国立大を蹴って私大に行くということで進路指導室で担任に2時間ほど絞られますが、都会に出るという高揚感で何時間だろうとあまり気にならないので安心してください。
それよりも絶対に関西に、都会に出てください。そしていろんなものを受け取ってください。
よろしく頼みます。

私はめっきり徳島には帰らなくなりましたが、都会で楽しくやっています。
そこでこれもお願いなのですが、今のうちに目に焼き付けておいてください。
学校のそばを流れる川の青色、自転車を漕ぎながら川面に跳ねた魚を見たこと、ありふれたチョークの匂い、夜の自販機の明かりの侘しさ、暑くても寒くても友達と何時間も喋り倒した帰り道の丁字路。
そして毎日湧いて出て尽きない煩悶に命懸けになったこと。

私は学校が大嫌いだった。
ずっと“優等生”でやってきたはずの私が、突然教室に行けなくなったあの秋の日を忘れることはできない。
いっぱい教室を抜け出した。
あちこちに迷惑をかけまくっていた。
私に戻りたいと思える中高時代なんてものはない。いっぱいいっぱいの傷だらけでしかない。
地元も嫌い。閉じた苦しさでいっぱいの土地。
思い出したくない記憶はこぼれ落ちてもひとりでに湧いてくる。
こんなものいらない、なければいいのにと今でさえ思う。

でも、もう戻らないんです。
戻らないと思うと急に惜しくなるんです。

高校の始業時間はもう覚えてない。
あの店の前に入っていたテナントが何だったか思い出せない。
あの時毎日使ってたお弁当箱の色はなんだっけ。
日常が刷新されるほどに抜け落ちていく音がする。
過去のたった1秒でさえその一瞬の感覚を正確に思い出せることはこれから一度もないし、私が今思い出した過去の1秒は明日の未知数な1秒よりはるかに重く大きすぎるが故に、もう輪郭しかわからない。

先ほどなるべく目に焼き付けてくださいと言ったのはそういうことです。

あなたのおじいちゃんの末期ガンがわかったのは受験生の夏の今頃だったと思います。

おじいちゃんは私が大学に入学したのを見届けて、その4月に亡くなりました。

時々iPodで数年前の音楽を聴くと、楽曲そっちのけで、音の向こうに存在しているはずの外の世界に意識を向けています。
この音を録った向こう側に生きている誰かの息遣いが聞こえるはずもないのに聞こえてくる気がして、思わず耳をすまします。
もうそこにはいないはずの誰かの気配に想いを馳せます。
祖父の姿を。
そして、あなた自身も。

17だったあなたはもういません。
私は22になりました。
私はあなたを忘れてしまった。
光る川面もその青も、放課後の教室の暗がりも、古い校舎のカビた匂いもダサい夏服も。
どこかへ行ってしまった。
油断すると霧散して、あの熱っぽい感情も全部が全部消えて見失ってしまう。
平たく美化されてしまう。
そんなはずはないのに。
その許しがたさ。
ぬるいノスタルジーの中で語られる憤りが。
ありふれたセピア色の情感に消えてゆく怒りが。
あの頃の私の全ては、理屈でもなければ紛うことなく嘘でもなかった。
そこにいたのに。それなのに。
ふざけるな。なかったことにするな。
たった5年の歳月は17の私をどこへやった。

17の夏の今頃、祖父のガンが分かる直前だった。

こういう時どうするものなのかわからないまま私はとりあえず足元だけ素足になった。
川底の泥が私の足裏に吸い付いた。
クラゲのように揺蕩うスカートの重みを引っ張って進んだ。
腰まで浸かった川の水が、海までつながる川の潮の香りとともに、大きな滞留となって私とひとつにならんとする様子に、私は怯えた。
その大きすぎる戦慄に私は小さすぎた。
足がすくんだ。
生まれて初めて死が私と対峙した。
睨まれたかのようだった。
私は立ち止まって慄くことしかできなくなった。
橋の上から心配した他校の男子高校生が声を掛けた。
私はその声に弾かれたように泣きじゃくった。

「そんなことしてたら、ほんまに人間ってうっかり死んでしまうんよ」
その後、部活の先輩に言われた言葉を今でも反芻する。

私は“うっかり”生き延びてしまった。

中学の時は高校入学まで、高校の時は高校卒業まで、大学入学時はハタチまでに、それぞれ死んでいるだろうと半ば本気で思っていた。
あまつさえ、平成最後の夏まで生き延びてしまうなんて思いもしなかった。

平成最後の夏もとても暑いです。
最近は電気代とガス代をケチるために水風呂に入っています。

水風呂は川の水を思い出します。
小さい頃は一人で沖までどんどん泳いでいける子だったのに、自然の水辺はすっかり怖くなってしまいました。
都会のワンルームの一角。
真っ暗な浴室が小さな川となって、時々私とひとつになります。

今受験生の夏のあなたの先には、ひとまず平凡な大学院生がいます。
社会学系の専攻に所属し、最近はジェンダーや男性学についての本を読んでいます。楽しいです。本を読むのは今からも勉強の合間にどんどんやってほしいです。
ちなみに何の因果か、今私はついこの間あなたが諦めたはずの第一志望の大学の大学院に所属しています。
人生ってわからないものだと思いました。
それとこれは少し特殊ですが、今私はFMラジオ番組のレギュラーを持っていて、2人の恋人がいます。
2人の恋人とはよく仲良くしていて、3人でご飯に行ったりもします。
この間はあなたもよく知る親友と4人で遊びに行ってきました。

ね、平成最後の私は、案外悪くないんです。

だからずっと持っていてください。
苦しかったことこそなかったことにしないでください。
大人になれないあなたを許したいと思えるくらいには、少しだけ大人になったつもりです。

さようなら、平成を生きた私。
私が“うっかり”生き延びた時代。
迂闊にも薄っぺらなノスタルジーを騙りそうになったら、どうぞ叱ってほしい。
私はこれからもきっと来るべき新しい夏を祝福しに行きます。

平成最後の夏、宛てのない長い長い手紙をしたためる私より

敬具

#平成最後の夏 #エッセイ #手紙 #小説 #日記 #言葉 #記憶 #写真 #essay #photography #photo #高校生 #学生生活 #保健室登校 #学校

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?