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ゴチになります、が言えなくて

以前ツイッター上で奢る奢らない問題が話題になっていました。

「女性は男性のために自身にお金をかけているのだから、男性が奢るべき」といった趣旨だったかと記憶します。

わたし自身は身なりに投資するタイプではないですし、出かけるときにメイクするのはとても好きですが、相手のために「メイクしてやってる」気持ちはありません。
自分の気持ちを上げるためにバチクソメイクしてゴーするのです。

たいへん可愛くないお話ですが、わたしは人に奢られることがあまり好きではありません。

目上の方や上司が奢ってくださる時は2度遠慮をして「奢らせて」と言われたらありがたくご馳走になります。

後輩や年下とごはんを食べる時にはご馳走するか、少し多く支払います。

奢られることが好きでないのは、相手と対等な関係でいたいという気持ちと、正直なところ借りを作りたくない気持ちが半々です。
(次回会った時に先日のお礼として何か用意するのも面倒で、折半してもらった方が気が楽、というのもあります)

やはり、改めて立ち返ると、とってもかわいくないですね。

ちなみにホリエモンは「奢りたい方に奢らせればいいんだ。俺はよろこんで奢られる!」と仰っており、へーなるほどなー。と思ったり、思わなかったり。
でも奢る側からしたら、そういう人のほうが可愛いし奢りがいがあるのかもしれません。

今日ともだちとご飯をしたとき、少し多く支払ったけど、そのあと彼女にケーキをご馳走になりました。
よくよく考えたら友だちの方がトータルで多く支払っており、なんだかよくわからない結果になりました。_(:3/∠) _
友だちよ、ごちそうさまでした。

小さい頃『おかえし』というタイトルの絵本を母親に良く読んでもらっていました。

プレゼントをもらったからお返しをして、そのお返しにさらにプレゼントをして、お返しがエスカレートして最終的にはとんでもないものをプレゼントする、というストーリーです。

もらったらお返しをするんだよ、ということと何事もやりすぎは良くないよ、という教訓がこの絵本には含まれているように思います。

そして、もらいっぱなし、あげっぱなしの関係はいつかいびつな関係に発展する気がします。

金銭的なやりとりだけではなく、費やした時間、技術、相手への気持ち。
そういったことも含めて、ギブアンドテイクのできないひとはどの世界でも「そういうひと」認定されてしまうと思うのです。

そんなことを書きながらも頭の片隅では「あの人にはまだぜんぜんお返しが足りていない」という方もいます。
いつか、きちんとお返しできる日が来ますように。


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