心の日記2021/3/1

今日の日中は穏やかな心で過ごせたけれど、夜になるにつれてメンタルが少しだけ沈んでしまった。

理想と現状の差が大きすぎて現状を否定したくなったり、現状にイラついたりして、自分を攻撃したくなる。今なにもできないなら待てばいいし、いまできることがあるならやればいい、ただそれだけなのに。

今できないことができなくて不安になって焦ったり、いまできることを後回しにして罪悪感を感じてみたり。

基本的に自分の心が忙しい。心の波が忙しい。忙しくて疲れるし、自然に泣けてくることも多いけど、それでも一応自分の進みたがってる方向が見えてるだけでも幸せなのだと思ってる。

退屈は一番いやだってことを知ってるから、基本的にスケジュールも心もある程度忙しい方が生きてるって思える。

でもね、辛いほうが「生きてる」って思えてしまうから、そこは要注意だよね。辛いだけで、頑張ってるつもりになってしまう。辛いことにより、自分を許そうとしてしまう。

望みがすべて叶ったって、嬉しいのは一瞬。物事を受け取る土台を固めないといつまでも足りなさが目につくだけだよね。

考え方の訓練をしているはずなのに、いざ現実に大きな波がやってくると疲弊して、それどころじゃなくなる。考え方の訓練は二の次になり、現実の対処に心や身体を使ってしまい、いっぱいいっぱいになる。

スキー場のラーメンとか、真冬の湯たんぽとか、おばあちゃんの作った煮物とか、分かりやすく一瞬で幸せを感じられるものを、毎秒用意できたら悲しくなれずに済むのかな。しらんけど。

自分がどういう心で生きたいのか、少しわからなくなるね。心地よくなるのがいいんだろうけど、でも生きてるなぁっていう実感を感じるのも好き。

退屈と忙しさ、理想と現状の差。だいたいのことは0100では説明できにどこかでバランスを取るしかないのだけど。そのバランスを一生探したり調整したりするのかと思うと、途方もない気がして、自分だけお得な体験をして人生のルートを抜け出したくなる。脱走したくなる。べつに死じゃなくたっていい。現実臭すぎるこの世界からうまく抜け出せる方法を探したいのだろうか。目指したいバランスは固定されないし、一生わかりっこないね。

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