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まったく不要な勉強をしたくなる症候群

たまに漢検凖1級の本を眺める28歳女です。漢検凖1級の本を眺めることに目的や意味はありません。ただ全然知らなくて、全然知らないままでもいいことに、触れてみたくなるだけである。

これは非常に贅沢なことだ。時間に余裕がないとできないし、勉強がそこそこ好きという根底に流れる教養人みたいな気質がないとできない。恵まれている。

仕事で使うわけでもなく、人生に役立つわけでもなく、趣味というほど趣味でもなく、もう本当に、特に何でもない。

この「特に何でもないこと」ができるのは、、個人的に人生の意味であり楽しみである。人間が人間である意味というか。だってロボットは意味なく漢検の勉強をしないからね。この無意味さ、寄り道感は人間らしさだと思う。

ここでやや暴論かもしれないが、この寄り道感は、大学に通った人間がたしなみやすいと思うのだけど、どうだろうか。というのも寄り道の代表が「旅行」だと思っていて、旅行にバンバン行くようになるのって大学時代の長期休みな気がする。暇だからか、やたら旅行してたよね。大学生のころ。

でも専門学生だった人や高卒の人と話すと、どうも旅行に行った経験が少ないようだ。行っても一泊二日の隣県への温泉旅行。「旅に行って何が得られるの?」などと言ってる人を見かけると、旅および旅行の経験がないだけなんじゃないかと思ってしまう。そういう人ほど一回旅および旅行に行ったらハマりそうだから「やってみれば」と言いたくなる。

大学生って長期休みが年に4ヶ月もあるから暇なんだよね。しかも無職なわけじゃなくてちゃんと肩書があるから、何かしなきゃという焦りもそこまで大きくない。独特ののんびりした時期だなと思う、大学時代。

人生の暇なときに、特に何の意味もないことを楽しむくらいのゆるさが人生らしさだと思う。今日も、旅行のごとく漢検の本を読もう。

2級も持ってないのに凖1級を買ってしまったのは失敗である。うーん、欲張ってしまった。筑波大、千葉大あたりを下回る大学には行きたくないなぁと謎のプライドで勉強していた時の「プライドの名残」が発動してしまったんだろう。

毎日note8日目。


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