私が就活しなかった理由

私が就活しなかった理由を一言で表現すると、「嫌だったから逃げた」。それだけの話。そもそも「18歳で大学に入学」「22歳で新卒採用」みたいな、年齢による人生のライフイベントの区切りみたいなものが好きじゃない。

就活しなかった理由は、主に「働くことへの嫌悪」「学校への嫌悪」「性格・特性の問題」に分けられるように思う。


まずは、働くことへの嫌悪。

働くことへの嫌悪と言っても、労働に対する否定ではない。ニート最高!みたいなわけでもない。現代で「普通」とされている労働形態にあまり馴染めない。

スーツを着て、化粧をばっちりして、週5日朝から夕方(または晩)まで働いて、仕事に合わせて定住して、上司が自動的に決まってて、「社会人として」「常識的に」等という言葉でよく分からない価値観を共有されて、仕事を優先するのが当たり前で、仕事を続けるのが当たり前。最低3年は続けよう。みんなと上手くコミュニケーションをとることが大切、みたいな。そういうのに対して「なんで?」となってしまう。納得できないものに目をつぶって従うことが苦手なので、目をつぶれなかった。


学校への嫌悪。

私は教員養成系の学科なので、就活=ほぼ夏の教員採用試験。(就活の時期は教育実習がびっしり入っているので、そもそも普通の就活が不可能なカリキュラムになっている。これもおかしな話だ。)

1年生くらいの頃は「教員になりたい」と思っていたものの、途中でそれは消えた。消えたというか、嫌気がさした。学校文化というのは、上であげた「常識」みたいなものがさらに徹底された場所。正しいか正しくないか、科学的根拠があるかどうか、などよりも「常識かどうか」みたいな指標がとても大きい。「みんなで頑張ろう」みたいな雰囲気も蔓延しているし、何よりもそれらを子どもに教え込まなければいけない。自分自身が違和感を感じているものを子どもに教えるなんて、私には気持ち悪すぎてできない…。

私が目指していたのは、教員といっても養護教諭(保健室の先生)。高校までの間、保健室の先生になりたかった。ものすごく。1年浪人してまで大学に入った。だけど(本当にばかな話なのだけど)、学校という狭い世界の中だけを見るなら確かに保健室が好き。だけど、社会全体という広い目で見たら、別に保健室にこだわる必要はなかった。もっと心地よい場所や面白い場所はたくさんある。だから、保健室と言う場所へのこだわりは、視野が狭い故の錯覚だった。

また、実習中にも「やっぱり学校って無理だな」と思うことがたくさんあった。10月にあるイベント(と言っても授業2時間を「薬物乱用教室」として使わせてもらう程度のイベント)の予定は、4月にはもう出さないといけないらしい。「え、半年も前に計画たてるの…?私の考え方も変わってるだろ」と思ってしまった。半年先の計画をしっかり立てるなんて、私には無理だ。

授業だって、無理。特に保健の授業。高校生は性行為をしてはいけないことが前提なので、避妊方法や妊娠したときの解決法を教えるのもおかしい、みたいなことが平気で言われる。もう、本音と建て前、実態と建て前の乖離がはなはだしい。「~すべき」「~べきでない」→だから「~であるはずだ」みたいな、意味不明の理屈が多い。無理。

実習先で運動会の練習中、私は体調の悪い子のお世話をしながら日陰にいた。すると、先生から「他の先生は皆日なたにいるんだから、実習生も日なたにいないとおかしい」と注意された。思わず「は!?」と言いたくなった。なぜ!!!なぜ無駄な苦労や無駄な忍耐を強要されるのか!なぜ「みんなで辛くなろう」精神なのか!ホワイジャパニーズピーーーーーポーーーーーーーーー

朝6時半に出勤、夜中の2時に退勤したという教師。意味が分からない!

とにかく、意味不明の決まりや暗黙の了解が多すぎた。私には無理だ。こんなんだから私は不登校になったのだ、と思った。不登校になるのは、まともな証だったようにさえ思えてならない。

また、教員は「教員採用試験」がある。ってことは、それに受かれば誰でも教員になれる。一定のラインを越えれば誰でもよいのだ。と思ったら、「私がやる必要なくない????」と思ってしまった。しかも、副業もできないのだから、仕事において自分らしさを出すチャンスがないように思えてしまった。さようなら、教員の世界。


最後に「性格・特性の問題」。

これは、自分が発達障害の傾向があることが大きい。それだけ。電話対応だとか、決まった時間に出勤するとか、ミスをリカバリーするチャンスが少ないとか、そういうのがいちいち大きなストレスになって働けないと感じた。私側の短所ともいえる。一般社会になじむには短所と呼ばれてしまうものが多すぎる。工夫でなんとかできるものと、できないものがある。たとえば、電話で声を聴きながらメモを取るということが私にはできないのだ。


こんな感じで、ただただ就活というものから逃げてきた。

逃げてきた先になにがあったか?

それは、逃げても生き延びられそうな道は、実はたくさんあった、ということ。なんとかなりそうだということ。(甘いと思うならそう思っておくれ。)

就職せずともお金を稼いで生きている人にたくさん出会った。「普通」ではない、いろんなパターンを知った。

具体的に私は来年どうするかというと、「田舎で畑をしながらネットを使って文章を書いて生きたい。」漠然としている。美味しい空気の中、空を見て、星を見て、自分で作った野菜を食べてみたい。

「なんて能天気な!」と思われるかもしれない。実際能天気だと思う。

いきなり畑を始めても、なんのノウハウも土地もないので…農に力を入れるため、地域おこし協力隊の制度を使わせてもらおうかと考えている。ベーシックインカムじゃないけど、一定の金額を毎月もらえるし。自己満だけじゃなく、周りのために動けるという点もありがたい。

畑をしながら、文章も書く。人生というくくりで見ると、この「文章の割合」を徐々に増やしていきたい。

今急いで書いているので、書きたいことを網羅できていなすぎる。でもまぁいい。のちのちつけたしていく。


私みたいな人間が、ゆとりの負の産物になるか?それとも、新しい時代の生き方のサンプルになれるか?私次第だ~。

決して意識高い感じの人とは違う。同じ「就活しない」にしても、新卒起業、社長、みたいなものではない。一生療養、心地よく…って感じ。新卒隠居、新卒リタイアの方が近い気がする…。

マイペースに、のんびり、やりたいことに出会ったら乗っかるスタイルで生きていきます。
生きることを放棄しなければ、人生どうにでもなると信じているし、どうにかするし、どうにでもします。

税金はおさめます。


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