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生活費が底をつきる時のひもじい気持ち

毎日note1日目はお金の話。ここ最近、立て続けに「生活費が底を尽きる人」の話を聞いた。間接的に聞いたり、ネットで見たり。ここで言う生活費が底を尽きるというのは、あと数日で残高が0円になること。

話を聞いたとき「うわぁ」という気持ちになった。「なんでそんなことになるんだよ、いい歳してるんだから計画的に生きなよ」という気持ちと、「わたしも大学時代はそんな感じだったから刺さる……心が痛い……心中お察しします……」という気持ち。

大学時代、奨学金を借りながらバイト代を合わせて生きていた。お金、なかった。お金ないくせに時間も心の余裕もないから、自炊もせず、2食をコンビニで買うこともあった。お金がないのに1食に700円とかかけてた。お金がないのに忙しいからコンビニで高いご飯を買う。もはや定食屋さんや牛丼屋さんより高い。貧困スパイラルあるあるだと思うのだけど、どうだろう。

お金のない生活が続くと、給料日直前の残高は数百円〜数千円になるのに慣れてしまう。

逆に1万円以上あるなら「お金がある」と感じ、もはや無限にあると感じ、節約もあまりしないのである。0じゃなければある、お金を下ろせばいくらでも出てくる、という感覚。つねにお金がない時特有のバグだ。少しでもお金があると「余裕だぜ」と感じてしまうやつ。

生活費が底を尽きそうな時、色々な気持ちになる。

まずは現実的に何とかしなければというおしりがムズムズする気持ち。親に頼むのか、棚の奥に封印されている乾物で食をしのぐのか、普通の顔してクレカを使うのか、誰かに恵んでもらうのか。

生活費については意外とクレカで何とかなってしまって、そこまで困らずにやりすごすことも多い。するとまた来月困るんだけども。お金の嫌なシステム。貧困の者はクレカを持ったら最後、なのかもしれない。

お金が底をつきてる時に限って「水道料金の督促状」が来たりするんだよね。支払いが怖くてポストを見ないから、普通のハガキはスルーしちゃってて、何だか色のおかしい「督促状」になって初めて気付いたり。督促状のさらに後に来る「最後通告」みたいな封筒でようやく焦ったり。最後通告になると、もうコンビニ払いもできなくて、自転車で行くには遠すぎる「水道局本部」みたいなところに払いに行かなきゃいけないんだよね。あぁ嫌な思い出。

普通にお金を持ってる人を見ると、ちょっとうらやましくも思ってた。たとえば実家からの仕送りがある人とか、実家暮らしだから生活費無料の人とか。家賃光熱費食費+お小遣いをもらってるような実家が小金持ちの友達を見ては、ズルじゃんそれ!などと思ってみじめな気持ちになっていた。

残高が安定してからだいぶ経ち、お金が底を尽きる時の感覚を忘れていた。でも話を聞くと、ちゃんと「うわぁ」となったので、自分の中には確実に存在しているんだ、お金が尽きる時のリアルな感覚。

いずれ子供がほしいと思っているけど、子供にいくらお金がかかるのかが全然イメージできていない。このままだと、子供がいることによる貧困になりかねない。あぁやだ。やだけど何とかなる気がしてしまい、細かな計算はしてないし、あからさまに余裕なほどの貯金もない。でも子供を持ちながらお金がない人の話を聞くと「いやほんと子供産んでる場合じゃないじゃん!」という気持ちになる。あぁやだもう少し考えなきゃいけないのかなぁ。全然考える気にならないな……。

わたしは自給自足に興味があって実現する気満々だけど、普通にお金がほしい。理由は困りたくないから。パソコンが壊れたけど買えない、車検を通すお金が厳しい、ガソリンの値上がりでお金がかかる、病気になってまとまった医療費が必要、そういうときに思考停止でお金で解決したいから。衣食住はお金をかけずに自給自足できると思う。でもそれ以外でどうしてもお金がかかる。そこを0にしようという気概まではない。

お金で困りたくないけどお金で困らないための対策は不十分。仮に仕事をやめてもしばら生きられるくらいの残高はあるからか、そんなにガチガチに考える気持ちは薄い。正直焦ったりはしていない。そんな普通の感じの人です。

さいごに
本当に困ったとき、公的な支援が色々あるみたいです。

生活福祉資金貸付制度
緊急小口貸付制度 等

ピンチのときは役所に相談するといいかもしれません。


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